【 コメント・山頂標柱や方角案内板などの設置提案 】 ※ 画像クリック拡大表示
「 山と渓谷社 」 |
三省堂 『 日本山名事典 』 《 改訂版 》
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地図1 |
地図2 |
鳥首峠 |
滝入ノ頭(あたま) |
ヤシンタイノ頭(かしら) |
橋小屋ノ頭(あたま) |
タタラの頭(あたま) |
有間山 |
蕨山 |
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現地の標柱・表示板 |
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A |
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前回「蕨山 展望台 1033m」を「蕨山」山頂と思い込んでしまった。今回は「名郷バス停」から「鳥首峠」へ登り、有間山へ至るルートを計画した。「橋小屋ノ頭」から「有間山」へ登り、「有間山」からまた「橋小屋ノ頭」へもどり、「蕨山」最高地点を確認して、有間川・名栗湖へおりるコースを設定した。「山と渓谷社」の地図(地図1・地図2)を見ながら歩いた。「橋小屋ノ頭」にたっている標柱には「有間山(橋小屋の頭)1163M」と書いてあるが、誤解をまねきやすい。「橋小屋ノ頭 1163m」の標柱にしたい。有間山は「地図2」では「有間山(タタラの頭)1213m」となっていて、『日本山名事典』でも「タタラの頭」→「有間山」の記載になっている。現地表示板は「タタラノ頭」になっているが「有間山(タタラの頭)1213m」としたい。『日本山名事典』には、「有間山」の見出し以下、「日向沢ノ峰から北進する稜線にあり、仁田山・タタラの頭(最高峰、1213m)・橋小屋ノ頭・滝入ノ頭・鳥首峠まで続く尾根筋の総称」と書いてある。通常、尾根筋で標高が一番高い場所が「山頂」になっている、あるいは「山頂」と呼んでいるのではないだろうか。「蕨山」についても同様である。 ・ @ には「蕨山(最高地点)1044m」標柱、「名郷下降地点 へ 200m →」・「蕨山展望台 へ 500m →」の方角案内板をたてたい。 ・ A には「名郷下降地点 1033m」標柱、「← 蕨山(最高地点)へ 200m」・「蕨山展望台 へ 300m →」の方角案内板をたてたい。 また「経緯・解説」として「ここが本当の蕨山原点」という表示板の内容を記載した「解説案内板」を併置したい。 ・ B には「蕨山展望台 1033m」標柱、「名郷下降地点へ 300m →」・「蕨山(最高地点)へ 500m →」の方角案内板をたてたい。
【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 白岩(しらいわ)集落跡 〕 「白岩」の地名は文字通り周囲の石灰岩から生まれています。この石灰岩はサンゴ礁に住んでいた動物の殻が堆積してできたものですが、非常に上質の岩石ですので、採掘は昭和の初めから始まり現在も続いています。白岩集落の歴史は古く、平家の落ち武者伝説も残っており、昭和25年頃には23軒の家々が、秩父の裏山に通ずる鳥首峠への山道に添って並び、上白岩、下白岩の二集落を作っていました。地域の暮らしは林業が中心です。特に炭焼きが盛んで、名郷(なごう)に買い物に来る主婦が炭を背負ってくる姿は厳しい生活の象徴ですが、風物詩でもありました。山に住む人々は昔から「山の神様」を祭り、山への感謝、仕事の安全を祈りました。白岩でも秋には六ヶ所の山の神様に甘酒を造って奉納する「甘酒祭り」が行われていました。明治22年、名栗村成立の際には十五区行政区として独立していましたが、時代の変化と共に移転が進み、昭和60年以降は無人となりました。
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