【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 馬乗馬場(マノリバンバ) 〕 昔、武勇の誉れ高く、その清廉潔白が人柄で坂東武者の鑑と称された〔 ( 文字不鮮明 ) 〕達が行軍の途中、ここで軍馬を休ませた場所といわれています。
〔 棒ノ峰 〕 埼玉県と東京都の境界をなす山腹の1つで、いたってなだらかな山容が特徴的で南東へ長く引いた尾根が高水三山へと連なり、山頂からは新宿副都心、奥多摩、奥武蔵の山々の眺望がえられます。現在地からは手入れされた人工林の中を1.0KMで岩茸石、それから1.1KMの尾根を登ると棒ノ峰の頂上です。
〔 若山牧水歌碑 〕
ちろちろと岩つたふ水に這ひあそぶ 赤き蟹ゐて杉の山静か
歌を愛し酒を愛し旅を愛した、純朴な最も歌人らしい歌人として広く親しまれているのが若山牧水である。牧水は明治18年(1885年)に宮崎県の山村に生まれ、昭和3年(1928年)に44歳で静岡県沼津に歿した。早稲田大学英文科卒。尾上柴舟の門下。旅を愛し自然に親しみ牧水調といわれる歌風を築き、自然主義歌人として活躍した。「海の声」「別離」「渓谷集」など15冊の歌集に総計6898首が収められている。各地を遍歴した牧水は大正年間にしばしば名栗・秩父を歩き当地名栗温泉にも宿泊し多くの歌を残している。なお牧水の祖父健海は所沢の出身である。 平成2年10月 若山牧水の歌碑を建てる会
〔 三照稲荷神社(さんしょういなりじんじゃ) 〕 この神社は、会津の白虎隊の生き残りという日蓮宗の行者が、明治時代前期に祀り始めたものです。この行者は山を歩いているうちに夜になって道に迷ってしまい、湯基の町田家(わたど)の明かりを頼りに降りることができ、町田家に泊まりました。その奥座敷で稲荷の祀り込みをおこなった ところ、三筋の光が見えたとか、ご神灯の火が三本に輝いてお宮に入ったといわれ、そこで三照稲荷と名付けられたということです。明治12年に社地を三・四区(現在の市場・下名栗四区自治会内)の人たちの名義で買い受けて神社が建てられました。祭日は4月3日に近い日曜日で、神事のあとには、お題目を唱えています。社殿内には、明治時代に造られたと考えられる木造の日蓮上人坐像が祀られています。この三照稲荷神社は、五穀豊穣と商売繁盛の神様として知られております。
題目…日蓮宗において謹行(ごんぎょう)の際に用いられる「南無妙法蓮華経」の七文字の文句のことである。お題目とも言う。
〔 楞厳寺(りょうごんじ) 〕 江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』には次のような記述があります。「小名倉窪にあり、重照山と号す、曹洞宗にて越前國永平寺末なり、その初は臨済宗にて、鎌倉善京院末なりと云、本尊地蔵を安ず、 開山永平寺23世勅特賜仏山徳照禅師、寛永18年7月朔月示寂す、天正19年六石の御朱印を賜う、境内972坪余、抹刹二ケ寺あり」
永禄期(1558~70)に町田大炊介重照を開基、永平寺23世の仏山秀察(ぶっさんしゅうさつ)(徳照(とくしょう))を開山とし、天正19年(1591)に六石の朱印を拝領したことを伝えています。寛永13年(1636)に曹洞宗の本山である永平寺の末寺に定められたことを示す、県内でも類例の少ない文書が遺されています。また、弘化3(1846)・4年(1847)奉納の文言のある大般若経六百巻一組が遺されており、奉納者は上・下名栗村、飯能地域、江戸などが多く、数は少ないですが、信州、越後、近江などの奉納者もあり、広範囲にわたっています。
〔 埼玉県指定 有形文化財 名栗川橋 〕 名栗川橋は大正13年(1924)に造られ、当時の姿をとどめた鉄筋コンクリートのアーチ橋では県内最古である。かって、この橋の下流に大喜橋という木造の橋が架けられていたが、明治43年(1910)の大洪水で橋が流され、対岸地域との交通が途絶えてしまった。大水でも流されない永久橋の架設を望む声 が高まり、建設費を村費と県からの補助金さらに地区住民の寄付金で補い着工に至った。橋長31.4、幅員3.9メートルと決して大きくはないが、名栗川の清流に架かる姿はどんな洪水にも流されない橋をと願った当時の関係者の思いを反映しているかのようである。 平成11年3月19日には、近代化遺産として埼玉県の有形文化財に指定され、77年の歳月を経た今日も現役の橋として活躍している。 平成13年9月 埼玉県教育委員会・飯能市教育委員会
〔 土木學會選奨土木遺産 jsce 2006 名栗川橋 〕 土木遺産とは、明治から戦前にかけて建設された歴史的、文化的価値の高い近代土木構造物を言い、名栗川橋は大正13年の竣工当時、道路橋としては県内最大のスパン(橋桁長)で関東地域でも神奈川県箱根町の玉之緒橋に次ぐスパン長を誇り、美しい堅牢な鉄筋コンクリート構造上路アーチ橋で現 在でも通行可能な現役橋であることが評価されたものです。平成18年12月 飯能市
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