【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 国指定史跡 小仏関跡 〕 平成10年7月1日 八王子市教育委員会
所在地:八王子市裏高尾町20番地の1外 / 指定年月日:昭和3年1月18日
小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された。この関所は、道中奉行の支配下におかれ、元和9年(1623)以降四人の関所番が配備された。関所の通過は、明け六ツ(午前六時)から暮六ツ(午後六時)までとし、しかも手形を必要とした。鉄砲手形は老中が、町人手形は名主が発行。この手形を番所の前にすえられた手形石にならべ、もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという。特に「入鉄砲に出女」は幕府に対する謀反(むほん)の恐れがあるとして重視し厳しくとりしまった。抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の罪が課せられるなど厳しかったが、地元の者は
下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい。明治2年(1869)1月の太政官布告で廃止され、建物も取りこわされた。
※ 許可なく指定地域内の地形等の変更、石の移動、施設の設置、改修などを行うことはできません。
〔 小仏関所位置図 ・ 小仏関所復元図 〕
〔 国史蹟 小仏関跡 〕〜[ 小仏関所絵図 ] 八王子市教育委員会 平成21年3月1日
この絵図は、関所番だった4家のうち、川村家に伝わっていたものです。残念ながら、戦災により焼失し、現存していません。小仏関は、四方を木柵などで囲われ、東西に門が置かれていました。北に山、南に川という地にあり、当時ここを通行していた人々を厳重にチェックしていたようです。
[ 駒關要樞(「桑都日記(そうとにっき)」極楽寺蔵)]
こちらの絵図は、千人同心組頭 塩野適斎(しおのてきさい)らによって記された「桑都日記」のものです。もともとあった小仏からここ駒木野に移され、関所の東が駒木野宿、西が小仏宿と呼ばれるようになり、関所も「小仏関」や「駒木野関」と呼ばれていたようです。
〔 神奈川県立 陣馬相模湖自然公園の紹介 〕
自然公園とは、自然の風景地の中で特に優れた地域を保護し、また、その秩序ある利用を通して国民の保健、休養、教化に役立てるために指定された地域のことです。神奈川県立陣馬相模湖自然公園は、神奈川県の最北端に位置する3,785ヘクタールの自然公園です。(昭和58年〔1983−〕に指定)
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