〔 底沢峠(そこさわ とうげ)〕 相模原市 2018.9.6Slippry [jQueryScript.net] ● 山のページへもどる
BGM:『 古都 』  

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  • 〔 1/98 〕 中央本線「相模湖」駅をおりて
  • 〔 2/98 〕 「さがみ湖 出会い坂」の彫刻
  • 〔 3/98 〕 県立相模湖公園を通過
  • 〔 4/98 〕 相模湖対岸の「嵐山(あらしやま)洞門」
  • 〔 5/98 〕 相模湖大橋が見える
  • 〔 6/98 〕 相模湖大橋を渡る。渡ってから左折し「弁天橋」を目指す。
  • 〔 7/98 〕 相模ダム
  • 〔 8/98 〕 右手に嵐山洞門
  • 〔 9/98 〕 左側に彫刻、右側に方角案内板がある
  • 〔 10/98 〕 シュウカイドウ(秋海棠)。シュウカイドウ科。
  • 〔 11/98 〕 「かながわの景勝 50選 嵐山からの相模湖」石標
  • 〔 12/98 〕 右は「嵐山 0.8km」。直進して「弁天橋 0.8km」へ。
  • 〔 13/98 〕 「相模湖インフォメーションマップ」で道順を確認。「嵐山登山口」にて。
  • 〔 14/98 〕 のどかな里山の景色
  • 〔 15/98 〕 方角案内板がある。「弁天橋 0.4KM」へ。
  • 〔 16/98 〕 弁天橋
  • 〔 17/98 〕 「かながわの 橋 100選 弁天橋」石標
  • 〔 18/98 〕 相模湖方面の景色(上流)
  • 〔 19/98 〕 下流の景色
  • 〔 20/98 〕 「旧弁天橋記念史(旧弁天橋掛替記)」石碑
  • 〔 21/98 〕 弁財天さんにお参りする
  • 〔 22/98 〕 鳥居
  • 〔 23/98 〕 本殿
  • 〔 24/98 〕 下流方向の景色
  • 〔 25/98 〕 渓流が流れている
  • 〔 26/98 〕 分岐点。左へ。右は「千木良(ちきら)・城山」方面。
  • 〔 27/98 〕 後ろを振り返って。「小原宿(おばらじゅく)本陣」へ。
  • 〔 28/98 〕 ヤブラン(藪蘭)。ユリ科。つぼみの状態。
  • 〔 29/98 〕 ヤマホトトギス(山杜鵑草)。ユリ科。日本全国に自生する野生種とのこと。
  • 〔 30/98 〕 竹林を抜ける
  • 〔 31/98 〕 手すりが設置されている
  • 〔 32/98 〕 国道20号線へ出る
  • 〔 33/98 〕 振り返って標識を確認。「古道 弁天島の道」を歩いてきたようだ。
  • 〔 34/98 〕 「小原宿本陣」の案内板。「解説」参照。
  • 〔 35/98 〕 小原宿本陣(旧清水家住宅)。「解説」参照。
  • 〔 36/98 〕 入館無料。館内写真撮影可とのこと。
  • 〔 37/98 〕 入口。パンフレット入手。「パンフ(おもて/裏)」参照。
  • 〔 38/98 〕 2階 展示室の様子
  • 〔 39/98 〕 鶴の絵
  • 〔 40/98 〕 駕籠(かご・「山駕籠」と思われる)。「解説」参照。
  • 〔 41/98 〕 「唐箕(とうみ)」。農具。
  • 〔 42/98 〕 養蚕の道具と思われる
  • 〔 43/98 〕 1階。「さるぼぼ」。「ぼぼ(飛騨弁)」は「赤ん坊」とのこと。「解説」参照。
  • 〔 44/98 〕 土間
  • 〔 45/98 〕 「勝手」
  • 〔 46/98 〕 「葉書」の語源。「葉に字を書くと消えない」ことに由来しているようだ。
  • 〔 47/98 〕 戦前(昭和初期)の教科書の展示
  • 〔 48/98 〕 「汲み取り式」のトイレ
  • 〔 49/98 〕 「厠(かわや/大名専用)」
  • 〔 50/98 〕 「上段(じょうだん)の間(ま)」。大名の泊まった部屋。「小原宿本陣(旧清水家住宅)」参照。
  • 〔 51/98 〕 庭園。「築山(つきやま)」。砂利や石などを使って人工的に山を作る造園法。「解説」参照。
  • 〔 52/98 〕 「入側縁(いりがわえん)」と庭。「解説」参照。
  • 〔 53/98 〕 「乗物(高級な駕籠)」と思われる。「解説」参照。11月3日に「大名行列」があるようだ。以上、本陣にて。
  • 〔 54/98 〕 本陣のすぐそばに「小原の郷」がある
  • 〔 55/98 〕 方角案内板を確認。「小仏峠」方面へ。
  • 〔 56/98 〕 「底沢(そこさわ)」バス停を通過する。「バス停の名前」参照。
  • 〔 57/98 〕 「底沢橋(そこさわばし)」。左の道へ入る。
  • 〔 58/98 〕 「小仏峠 3.5km」地点。右は「照手姫(てるてひめ)ものがたり」案内板。「解説」参照。
  • 〔 59/98 〕 中央本線の下をくぐる
  • 〔 60/98 〕 甲州古道「小原宿・小仏峠『甲州道中 長久保』」標柱。同所にて。
  • 〔 61/98 〕 甲州古道「右小仏峠・左小原宿『甲州道中 板橋』」を通過
  • 〔 62/98 〕 分岐点。右「小仏峠 2.5km」。「照手姫の水鏡 七ッ淵(ななつぶち)まで 550M」へ。
  • 〔 63/98 〕 分岐点。「七ッ淵まで 350M」へ行ってから、ここへもどり「明王峠(みょうおうとうげ)」へ向かう。
  • 〔 64/98 〕 「照手姫の水鏡 七ッ淵まで 80M」の入口。屋根の下に女性が髪をあらう木製の彫刻が置かれている。
  • 〔 65/98 〕 七ッ淵に到着
  • 〔 66/98 〕 渓流に段差がついている。「淵」と思われる。足もと注意。
  • 〔 67/98 〕 段差を確認
  • 〔 68/98 〕 段差の先は、倒木などで上へ進むことはできない
  • 〔 69/98 〕 分岐点へもどる。左方向「明王峠」へ向かう。
  • 〔 70/98 〕 「陣馬山 明王峠 石段上る」の案内板がある
  • 〔 71/98 〕 登山道の様子
  • 〔 72/98 〕 竹林を通過する
  • 〔 73/98 〕 「明王峠」へ。「神奈川県自然環境保全センター」の方角案内板。
  • 〔 74/98 〕 ササ(笹)の葉が多く見られるようになる
  • 〔 75/98 〕 キバナアキギリ(黄花秋桐)。シソ科。上から長く伸びているのは雌しべとのこと。
  • 〔 76/98 〕 同上。「黄色い花で、秋に咲き、葉が桐に似ている」ことから「黄花秋桐」の名前がついた由。
  • 〔 77/98 〕 頭上に稜線が見えてくる
  • 〔 78/98 〕 稜線との合流地点(分岐点)に到着
  • 〔 79/98 〕 左「明王峠 0.6km」へ進む
  • 〔 80/98 〕 底沢峠に到着。分岐点。右方向へくだる。
  • 〔 81/98 〕 「陣馬高原下バス停 2.8km」へ。「明王峠 0.5km」地点。以上、底沢峠にて。
  • 〔 82/98 〕 左手に見える山の景色
  • 〔 83/98 〕 岩場の道や石ころの道を通過する
  • 〔 84/98 〕 樹林地帯を通過
  • 〔 85/98 〕 右手に林道が見えてくる
  • 〔 86/98 〕 林道へ出る。右へ。
  • 〔 87/98 〕 右手の林道を左方向へくだる。右方向は「行き止まり」。
  • 〔 88/98 〕 出てきた道を振り返る
  • 〔 89/98 〕 「行き止まり」の道。「明王(のの沢)林道 平成2年度開設」の標識。
  • 〔 90/98 〕 後ろを振り返って。左の道をおりてきた。右は「七ツ久保林道 平成48年開設」。
  • 〔 91/98 〕 方角案内板。右の道は「奈良子峠」方面。
  • 〔 92/98 〕 養魚場を通過
  • 〔 93/98 〕 「明王林道 昭和36年度開設」をくだっているようだ
  • 〔 94/98 〕 「陣馬高原下」に到着
  • 〔 95/98 〕 後ろを振り返って案内板確認
  • 〔 96/98 〕 「Sokozawa(濁音) Pass」は「Sokosawa(清音) Pass」の誤りと思われる
  • 〔 97/98 〕 「陣馬高原下」バス停に到着。3:25発で「高尾駅北口」へ。560円。
  • 〔 98/98 〕 西東京バスは3:10(出発15分前)に到着

【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1小原宿(おばらじゅく)本陣 〕 徳川幕府により整備された五街道のひとつ甲州道中。道中沿いに開けた宿場町のなかで「小原宿」は往時の様子を知ることのできる貴重な町並みを残しています。かつて街道に人々が行き交った時代に思いをはせ、旅人たちの見た風景を感じとることができます。神奈川県内にあった26軒の東海道・甲州道中・宿場本陣のうち唯一現存するものです。瓦屋根の豪壮な門構え、入母屋造りの
建物、13室の部屋などが往時のまま残され、県の重要文化財に指定されています。

#2-1〔 県指定重要文化財 小原宿本陣(旧清水家住宅) 〕 この小原宿本陣は、江戸時代に信州の高島(たかしま)・高遠(たかとお)・飯田(いいだ)三藩の大名及び甲府勤番(きんばん)の役人が、江戸との往復のとき宿泊するために利用したという古い歴史をもった建物です。この建物の当主清水家の先祖は、後北条の家臣清水隼人介(しみずはやとのすけ)で、後に甲州街道小原宿が設けられてからは、代々問屋(といや)
と庄屋(しょうや)を兼ねていました。この建物の年代に関する資料は不明ですが「甲州道中宿村(しゅくそん)大概帳(だいがいちょう)」(天保14年・1843年)によると、「本陣凡(およそ)建坪(たてつぼ)八十四坪 門構二而(て)玄関之無(これなく)入口壱軒(いっけん)」とあり、現在の建物の建築様式から推測しても、江戸時代後期の18世紀末期から19世紀初期の頃の建築と思われます。規模は、間口十二間、奥行七間で土間(どま)妻側(つまがわ)の裾(すそ)を兜(かぶと)として入母屋造りです。東側居住部分は天井が低く中二階があり、二階三階共に養蚕室として使われました。西側奥座敷は、三部屋に区切られその外側を入側縁(いりがわえん)で囲み、築山(つきやま)のある庭に面しています。奥座敷の北側の部屋が「上段(じょうだん)の間(ま)」で大名の泊まった部屋です。このように、旧清水家住宅は、本陣特有の座敷構えを示すと共に、津久井郡の典型的な大形養蚕民家の構造をしており、県下に二十六軒あった本陣のなかで唯一現存する貴重な建物です。
 平成8年2月13日指定 相模原市教育委員会

#3-1人馬の継立(つぎたて)〜 人足の数と馬の数 〕 ※ 「片継(かたつぎ)」と「継立」:小原宿は甲州道中にある江戸から九番目の宿で、小仏峠を控えた重要な宿場町でした。小仏宿から来た人や荷物は与瀬宿を通り越して吉野宿まで継ぎ立て、反対に江戸方面には与瀬宿から小原宿を通り越して小仏宿へ継ぎ立てる片継の宿場として栄えました。
[ 小原宿散策ガイド【歴史】より ]

#4-1旅の駕籠(かご) 〕 江戸時代の旅の交通手段は原則として徒歩であったが、旅が一般化すると、馬や駕籠による移動も増していった。このうち駕籠は「乗物」と「駕籠」に分けることができ、元和元年(1615)に発布された武家諸法度には「乗物」に乗れる者の身分を定め駕籠と区別した。乗物とは引戸が付いた高級なものを指し、一般の駕籠とは区別された。旅人が乗る駕籠は宿駕籠・山駕籠といわれるもので、
担ぎ棒など全体が竹材を用いて作られていた。本展で展示した駕籠のうち、一台は府中宿内の寺院の住職が使用していたもので、形態としては主に武士などがしようしていた権門駕籠というものである。担ぎ棒は4メートル以上あり前後二人の人足が担いだとされる。もう一台が山駕籠で甲州道中の小原宿で使用されていたものである。担ぎ棒が前後に動くように作られており、急な山道に対応できる構造となっている。

#5-1さるぼぼ 〕 飛騨高山など岐阜県飛騨地方で、昔から作られている人形。飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味です。災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起のよい物とされ、お守りとしても使われているそうです。

#6-1照手姫(てるてひめ)ものがたり 美女谷伝説(相模湖町底沢)〕 浄瑠璃や歌舞伎で知られている「小栗判官と照手姫」の物語。照手姫は、小仏峠の麓、美女谷の生まれと伝えられ、その美貌が地名の由来になったとも言われています。北面の武士だったという父とやさしい母から生まれた照手姫は美しい娘に成長し、美女谷川上流の七ツ淵で豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したと言います。しかし不幸にも両親
が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷の里から消えてしまいました。その後、数奇な運命をたどった照手姫は相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをしますが、満重は毒殺されてしまいます。姫の必死の思いが通じたのか、満重は遊行上人という名僧のお陰で蘇生し、常陸の国の小栗城に帰り、照手姫を迎え、末永く幸せに暮らしたと言います。