〔 底沢峠(そこさわ とうげ)〕 相模原市 2018.9.6
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〔
小原宿(おばらじゅく)本陣
〕 徳川幕府により整備された五街道のひとつ甲州道中。道中沿いに開けた宿場町のなかで「小原宿」は往時の様子を知ることのできる貴重な町並みを残しています。かつて街道に人々が行き交った時代に思いをはせ、旅人たちの見た風景を感じとることができます。神奈川県内にあった26軒の東海道・甲州道中・宿場本陣のうち唯一現存するものです。瓦屋根の豪壮な門構え、入母屋造りの
建物、13室の部屋などが往時のまま残され、県の重要文化財に指定されています。
〔 県指定重要文化財
小原宿本陣
(旧清水家住宅) 〕 この小原宿本陣は、江戸時代に信州の高島(たかしま)・高遠(たかとお)・飯田(いいだ)三藩の大名及び甲府勤番(きんばん)の役人が、江戸との往復のとき宿泊するために利用したという古い歴史をもった建物です。この建物の当主清水家の先祖は、後北条の家臣清水隼人介(しみずはやとのすけ)で、後に甲州街道小原宿が設けられてからは、代々問屋(といや)
と庄屋(しょうや)を兼ねていました。この建物の年代に関する資料は不明ですが「甲州道中宿村(しゅくそん)大概帳(だいがいちょう)」(天保14年・1843年)によると、「本陣凡(およそ)建坪(たてつぼ)八十四坪 門構二而(て)玄関之無(これなく)入口壱軒(いっけん)」とあり、現在の建物の建築様式から推測しても、江戸時代後期の18世紀末期から19世紀初期の頃の建築と思われます。規模は、間口十二間、奥行七間で土間(どま)妻側(つまがわ)の裾(すそ)を兜(かぶと)として入母屋造りです。東側居住部分は天井が低く中二階があり、二階三階共に養蚕室として使われました。西側奥座敷は、三部屋に区切られその外側を入側縁(いりがわえん)で囲み、築山(つきやま)のある庭に面しています。奥座敷の北側の部屋が「上段(じょうだん)の間(ま)」で大名の泊まった部屋です。このように、旧清水家住宅は、本陣特有の座敷構えを示すと共に、津久井郡の典型的な大形養蚕民家の構造をしており、県下に二十六軒あった本陣のなかで唯一現存する貴重な建物です。
平成8年2月13日指定 相模原市教育委員会
〔
人馬の継立(つぎたて)〜 人足の数と馬の数
〕 ※ 「片継(かたつぎ)」と「継立」:小原宿は甲州道中にある江戸から九番目の宿で、小仏峠を控えた重要な宿場町でした。小仏宿から来た人や荷物は与瀬宿を通り越して吉野宿まで継ぎ立て、反対に江戸方面には与瀬宿から小原宿を通り越して小仏宿へ継ぎ立てる片継の宿場として栄えました。
[ 小原宿散策ガイド【歴史】より ]
〔
旅の駕籠(かご)
〕 江戸時代の旅の交通手段は原則として徒歩であったが、旅が一般化すると、馬や駕籠による移動も増していった。このうち駕籠は「乗物」と「駕籠」に分けることができ、元和元年(1615)に発布された武家諸法度には「乗物」に乗れる者の身分を定め駕籠と区別した。乗物とは引戸が付いた高級なものを指し、一般の駕籠とは区別された。旅人が乗る駕籠は宿駕籠・山駕籠といわれるもので、
担ぎ棒など全体が竹材を用いて作られていた。本展で展示した駕籠のうち、一台は府中宿内の寺院の住職が使用していたもので、形態としては主に武士などがしようしていた権門駕籠というものである。担ぎ棒は4メートル以上あり前後二人の人足が担いだとされる。もう一台が山駕籠で甲州道中の小原宿で使用されていたものである。担ぎ棒が前後に動くように作られており、急な山道に対応できる構造となっている。
〔
さるぼぼ
〕 飛騨高山など岐阜県飛騨地方で、昔から作られている人形。飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味です。災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起のよい物とされ、お守りとしても使われているそうです。
〔
照手姫(てるてひめ)ものがたり
美女谷伝説(相模湖町底沢)〕 浄瑠璃や歌舞伎で知られている「小栗判官と照手姫」の物語。照手姫は、小仏峠の麓、美女谷の生まれと伝えられ、その美貌が地名の由来になったとも言われています。北面の武士だったという父とやさしい母から生まれた照手姫は美しい娘に成長し、美女谷川上流の七ツ淵で豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したと言います。しかし不幸にも両親
が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷の里から消えてしまいました。その後、数奇な運命をたどった照手姫は相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをしますが、満重は毒殺されてしまいます。姫の必死の思いが通じたのか、満重は遊行上人という名僧のお陰で蘇生し、常陸の国の小栗城に帰り、照手姫を迎え、末永く幸せに暮らしたと言います。