〔 奈良本峠(ならもととうげ)〜 峠の標識はない 〕 2018.8.31 相模原市
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  • 〔 1/86 〕 中央本線「藤野」駅跨線橋から「上野原」駅方面を見て
  • 〔 2/86 〕 踏切を渡る。「陣馬山(じんばさん)」方面へ。
  • 〔 3/86 〕 山に囲まれた集落の景色
  • 〔 4/86 〕 「陣馬山登山口」石標。右へ。栃谷川(とちやがわ)沿いを歩く。
  • 〔 5/86 〕 現在地は「落合」。「一ノ尾根」は「一ノ尾 尾根」の間違い。「拡大図」参照。
  • 〔 6/86 〕 この案内板は「一ノ尾尾根」の表記になっている
  • 〔 7/86 〕 分岐点。後ろは「沢井簡易郵便局」。
  • 〔 8/86 〕 標識確認。左「陣馬山 100分」へ。
  • 〔 9/86 〕 「陣馬山 90分」地点。後ろを振り返って。
  • 〔 10/86 〕 周辺の景色。この辺りで民家が途絶える。
  • 〔 11/86 〕 「陣馬山 4.0km」へ。尾根の入口と思われる。
  • 〔 12/86 〕 「なだらかで気持ちのよい尾根歩きができるコース」とのこと。「ハイキングマップ」参照。
  • 〔 13/86 〕 「陣馬山 3.4KM」の標識を通過
  • 〔 14/86 〕 裏側は「上沢井 0.9KM」。「上河原バス停」へ出るようだ。
  • 〔 15/86 〕 ジグザグにのぼる
  • 〔 16/86 〕 登山道の様子
  • 〔 17/86 〕 古い標識。文字が判読できない。
  • 〔 18/86 〕 分岐点(合流地点)を通過する
  • 〔 19/86 〕 標識確認。坂の名前は「めおと坂」。
  • 〔 20/86 〕 「一ノ尾テラス」に到着
  • 〔 21/86 〕 「陣馬山 山頂 2.0km」へ
  • 〔 22/86 〕 一旦、尾根の上へ出る
  • 〔 23/86 〕 「藤野町基準点 NO.4」の石標がある
  • 〔 24/86 〕 分岐点にさしかかる
  • 〔 25/86 〕 「陣馬山 1.5KM」
  • 〔 26/86 〕 「和田 1.2KM」。「川古寄(かわこき)和田第二尾根コース」と思われる。「ハイキングマップ」参照。
  • 〔 27/86 〕 足元を動く生物がいる。ザトウムシ(座頭虫)の一種と思われる。クモではないとのこと。
  • 〔 28/86 〕 「陣馬山 0.7KM」地点を通過
  • 〔 29/86 〕 「和田 1.8KM」。「鬼取(おにとり)和田尾根コース」と思われる。「ハイキングマップ」参照。
  • 〔 30/86 〕 植生保護区域を通過する
  • 〔 31/86 〕 左上に「清水茶屋」の建物が見えてくる
  • 〔 32/86 〕 案内標識
  • 〔 33/86 〕 清水茶屋に到着。「ゆずシャーベット」を購入。300円。
  • 〔 34/86 〕 「地元の柚子を使っています! 藤野特産品」とのこと
  • 〔 35/86 〕 富士山がよく見える
  • 〔 36/86 〕 少しズームイン
  • 〔 37/86 〕 もう少しズームイン
  • 〔 38/86 〕 富士山の右側
  • 〔 39/86 〕 北側の景色。以上、清水茶屋にて。
  • 〔 40/86 〕 陣馬山山頂。白い馬の彫刻。左は「かながわの景勝 50選 陣馬山」石標。
  • 〔 41/86 〕 角度を変えて。彫刻に「陣馬高原山頂 標高 857m」の銘板がある。
  • 〔 42/86 〕 「藤野町十五名山 陣馬山 標高 857m」標柱。以上、陣馬山山頂にて。
  • 〔 43/86 〕 「栃谷・藤野駅」へ向かう
  • 〔 44/86 〕 センニンソウ(仙人草)。キンポウゲ科。
  • 〔 45/86 〕 ここも富士山のビューポイント。少し雲が出てきた。
  • 〔 46/86 〕 分岐点。右へ。標識を確認する。
  • 〔 47/86 〕 「栃谷尾根 Tochitani Ridge」の表示。「Tochiya Ridge」の間違いと思われる。「拡大図」参照。
  • 〔 48/86 〕 「栃谷尾根/栃谷 2.7km/藤野駅 6.8km」へ
  • 〔 49/86 〕 「ロープ柵の中を歩いてください」。植生保護。「神奈川県 自然環境保全センター」の案内板。
  • 〔 50/86 〕 階段の道をくだる
  • 〔 51/86 〕 登山道の様子
  • 〔 52/86 〕 「栃谷 2.0km」地点
  • 〔 53/86 〕 「栃谷 1.4km」
  • 〔 54/86 〕 タマアジサイ(玉紫陽花)と思われる。ユキノシタ科。
  • 〔 55/86 〕 「栃谷 0.6km」地点
  • 〔 56/86 〕 社(やしろ)を通過する
  • 〔 57/86 〕 見晴らしのいい場所へ出る
  • 〔 58/86 〕 畑の間を通り抜ける。細いアスファルトの道をくだる。
  • 〔 59/86 〕 「藤野駅」方向へ
  • 〔 60/86 〕 広い道へ出る。直進して道なりに坂をおりる。
  • 〔 61/86 〕 「栃谷園地休憩所/トイレ」を通過
  • 〔 62/86 〕 分岐点(合流地点)に到着。「陣馬の湯」案内板がある。直進して坂をのぼる。
  • 〔 63/86 〕 標識を確認する。現在地は「栃谷」。
  • 〔 64/86 〕 「陣谷温泉」を通過
  • 〔 65/86 〕 標識がある。「イタドリ沢ノ頭 1.1km/奈良本 3.3km」へ。下の「奈良本峠」参照。
  • 〔 66/86 〕 右手の細い道へ入る
  • 〔 67/86 〕 ヒガンバナ(彼岸花/別名:曼珠沙華)が咲いている。ヒガンバナ科。
  • 〔 68/86 〕 橋を渡って、渓流を通過
  • 〔 69/86 〕 登山道の様子
  • 〔 70/86 〕 「奈良本」へ
  • 〔 71/86 〕 樹林地帯を通り抜ける
  • 〔 72/86 〕 「栃谷」から「1.1km」地点。「イタドリ沢ノ頭」と思ったが、ここは「奈良本峠」。下の「奈良本峠」参照。
  • 〔 73/86 〕 標識の奥にある少し小高い場所で昼食休憩。「奈良本」へ向かう。
  • 〔 74/86 〕 分岐点
  • 〔 75/86 〕 左は「矢ノ音(やのね)→ 明王峠(みょうおうとうげ)」
  • 〔 76/86 〕 直進して「奈良本」へ。以上、分岐点にて。
  • 〔 77/86 〕 落ち葉をクッション代わりにして歩く
  • 〔 78/86 〕 林道に合流する
  • 〔 79/86 〕 標識を確認。「奈良本(林道経由)」へ。下の「奈良本峠」参照。
  • 〔 80/86 〕 眼下に中央自動車道が見える
  • 〔 81/86 〕 「火の用心」の垂れ幕(「相模原市吉野消防後援会」)。同所にて。
  • 〔 82/86 〕 ゲートを通過
  • 〔 83/86 〕 「奈良本園地休憩所/トイレ」を通り抜ける
  • 〔 84/86 〕 国道20号線へ出る。右方向へ。
  • 〔 85/86 〕 「小猿橋」の案内板がある。「解説」参照。吉野橋(沢井川)にて。
  • 〔 86/86 〕 「藤野総合事務所前」交差点に到着

【 奈良本峠 】    ※ 画像クリック拡大表示
#65 #72 #79  以前、「イタドリ沢ノ頭」という案内標識を見たとき、どんな場所なのか一度登ってみたいと思っていた。「栃谷(とちや)」の登山口標識(左の画像)の「イタドリ沢ノ頭 1.1km」を確認して登り始めた。尾根の上(中央の画像)に「栃谷 1.1km」の標識が
たっていたので、ここが「イタドリ沢ノ頭(虎杖沢ノ(の)頭)」と勘違いした。「イタドリ沢ノ頭」はここより右方向(西)へ 200mほど行った場所である(上の「地図」参照)。後日、この周辺の地図(上の「地図」)を見てここが「奈良本峠」であることを知ったが、この「奈良本峠」には「奈良本峠」の現在地表示も「イタドリ沢ノ頭」への方角表示もない。下山した「奈良本」にも「イタドリ沢ノ頭」への方角案内板(右の画像)がたっている。案内標識には「神奈川県」の記名があり、標識を設置する担当課には「現在地:奈良本峠」の表示と「イタドリ沢ノ頭」への方角表示をお願いできないものかと思う。
 山の名称になっている「虎杖(いたどり)」というのは植物の名前らしい。検索すると「タデ科の多年草。春に竹の子状の新芽が出て、茎が柔らかく、茎を折ると「ポコン」と音がする。食べるとスッパイので別名『すかんぽ』と呼ばれる」という記述に行き当たる。小さな白い花や、白い果実の写真も確認できる。「スカンポ」の名前から「土手のすかんぽ ジャワ更紗(さらさ)♪♪」のメロディーが頭に浮かんだ。「すかんぽの咲く頃(北原白秋作詞・ 山田耕筰作曲)」という歌だ。「イタドリ」という正式名称には何の親しみも感じないが、「スカンポ」という名前にはとても親しみを感じ、身近な植物に思えてくるから不思議だ。[ 2018.10.10 記載 ]

【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示
#1-1 #1-2小猿橋 〕 小猿橋は、現在の吉野橋よりやや南寄りにあり長さ14間(約25m)幅2間(約3.6m)高さ5丈8尺(約25m)の欄干付きの板橋でした。この橋は、山梨県大月市の猿橋と工法も形も同じで、その規模が少し小さいことから『小猿橋』と呼んだと言われております。元禄11年(1698年)の記録によれば、橋の周辺の地形、地質が悪く迂回路の場所がないため、掛替工事が非常に困難であった。
その工事費は江戸幕府の支出で行われ、額は400両であった。その後次第に工事費は減り、文久2年(1862年)には70両となり、徐々に幕府の支出はなくなっていった。地元では、人馬通行橋銭(じんばつうこうきょうせん)の徴収、宿場の貸座敷や旅篭の飯売下女(めしうりげじょ)からの刎銭(はねせん)等を財源として掛替工事を行っていた。その折、八王子千人隊、萩原頼母(はぎわらたのも)を組長とする一部が工事中の警備・木材搬出の指揮に当たったと言う。明治初年からは総て官費で行われるようになり、明治中頃には上流約500mの地点に「新猿橋」という木橋ができた。大正8年、道路法制定と共に甲州街道は国道8号線となり、昭和8年8月の吉野橋の完成に伴い小猿橋、新猿橋は消滅した。昭和62年3月 藤野町教育委員会