〔 奈良本峠(ならもととうげ)〜
峠の標識はない
〕 2018.8.31 相模原市
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【 奈良本峠 】 ※ 画像クリック拡大表示
以前、「イタドリ沢ノ頭」という案内標識を見たとき、どんな場所なのか一度登ってみたいと思っていた。「栃谷(とちや)」の登山口標識(左の画像)の「イタドリ沢ノ頭 1.1km」を確認して登り始めた。尾根の上(中央の画像)に「栃谷 1.1km」の標識が
たっていたので、ここが「イタドリ沢ノ頭(虎杖沢ノ(の)頭)」と勘違いした。「イタドリ沢ノ頭」はここより右方向(西)へ 200mほど行った場所である(上の「地図」参照)。後日、この周辺の地図(上の「地図」)を見てここが「奈良本峠」であることを知ったが、この「奈良本峠」には「奈良本峠」の現在地表示も「イタドリ沢ノ頭」への方角表示もない。下山した「奈良本」にも「イタドリ沢ノ頭」への方角案内板(右の画像)がたっている。案内標識には「神奈川県」の記名があり、標識を設置する担当課には「現在地:奈良本峠」の表示と「イタドリ沢ノ頭」への方角表示をお願いできないものかと思う。
山の名称になっている「虎杖(いたどり)」というのは植物の名前らしい。検索すると「タデ科の多年草。春に竹の子状の新芽が出て、茎が柔らかく、茎を折ると「ポコン」と音がする。食べるとスッパイので別名『すかんぽ』と呼ばれる」という記述に行き当たる。小さな白い花や、白い果実の写真も確認できる。「スカンポ」の名前から「土手のすかんぽ ジャワ更紗(さらさ)♪♪」のメロディーが頭に浮かんだ。「すかんぽの咲く頃(北原白秋作詞・ 山田耕筰作曲)」という歌だ。「イタドリ」という正式名称には何の親しみも感じないが、「スカンポ」という名前にはとても親しみを感じ、身近な植物に思えてくるから不思議だ。[ 2018.10.10 記載 ]
【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔
小猿橋
〕 小猿橋は、現在の吉野橋よりやや南寄りにあり長さ14間(約25m)幅2間(約3.6m)高さ5丈8尺(約25m)の欄干付きの板橋でした。この橋は、山梨県大月市の猿橋と工法も形も同じで、その規模が少し小さいことから『小猿橋』と呼んだと言われております。元禄11年(1698年)の記録によれば、橋の周辺の地形、地質が悪く迂回路の場所がないため、掛替工事が非常に困難であった。
その工事費は江戸幕府の支出で行われ、額は400両であった。その後次第に工事費は減り、文久2年(1862年)には70両となり、徐々に幕府の支出はなくなっていった。地元では、人馬通行橋銭(じんばつうこうきょうせん)の徴収、宿場の貸座敷や旅篭の飯売下女(めしうりげじょ)からの刎銭(はねせん)等を財源として掛替工事を行っていた。その折、八王子千人隊、萩原頼母(はぎわらたのも)を組長とする一部が工事中の警備・木材搬出の指揮に当たったと言う。明治初年からは総て官費で行われるようになり、明治中頃には上流約500mの地点に「新猿橋」という木橋ができた。大正8年、道路法制定と共に甲州街道は国道8号線となり、昭和8年8月の吉野橋の完成に伴い小猿橋、新猿橋は消滅した。昭和62年3月 藤野町教育委員会