【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 御神木 千年の松 〕
〔 馬絹古墳 公園ガイド 〕 馬絹古墳は、古墳時代の人々から1,300年もの時間の流れをこえて私たちに伝えられた重要な文化遺産です。川崎市教育委員会では、この馬絹古墳を大切に保存していくとともに、憩いの場、生涯学習の場として皆さんに活用していただくために、この公園を整備しました。
● 古墳の石室は壊れる危険がありますので、ステンレス鋼材で補強しています。中には入れませんが、貴重な文化財を保護するために、どうかご理解ください。
● 石室の模型は、川崎市市民ミュージアム(中原区等々力緑地内)に展示されていますので、あわせてご利用ください。
● 馬絹古墳は貴重な文化財であるとともに、祖先のお墓でもあります。古墳の上には登らないようにお願いします。
● 公園整備に際しましては、馬絹神社のご理解とご協力により、土地を一部お借りしています。
〔 馬絹古墳(まぎぬこふん)〕 馬絹古墳は、現状の墳丘の直径が約33m、高さが北側で約3m、南側で約4.5mほどの円墳(えんぷん)です。墳丘の周りには幅約3.5m・深さ約1.5m前後の溝がめぐらされています。この古墳は、まずローム層(赤土)まで掘りこみ、遺体を安置する石室を組み立て、その外側に赤土と黒土とを順序よく細かく積み上げてつくられています。また墳丘の表面には、手のひらほどの大きさの河原石が敷きならべられていました。石室は、全長が9.6mもある大形の横穴式石室で、内部は3つの部屋に分けられています。この石室は、四角に切った泥岩を組み合わせながら、天井に向けて少しずつせばめて積んでいく「持ち送り式」という技法で、ていねいにつくられています。そして石が接合する部分には、白い粘土が帯のように塗られており、ほかにも同じ白い粘土を使って、まるい形や今では形がはっきりわかりませんが、何らかの模様が描かれていたようです。馬絹古墳がはじめて発掘された時には、すでに遺体は残っていませんでしたが、鉄の釘が発見されていますので、遺体は木でつくった棺に入れられていたと思われます。しかも鉄釘は79本もありましたので、棺は1つだけではなかったようです。ただ、遺体といっしょに置かれていたと思われる品物(副葬品)は、盗掘されて持ち去られてしまったようですので、馬絹古墳がつくられた年代などがわかるはっきりした証拠は不足していますが、石室の形やつくり形、設計の方法などから、7世紀の後半ごろにつくられたと考えられます。これらは、昭和46年の発掘調査や平成2年の保存整備調査などによって明らかになりました。そして、馬絹古墳は古墳時代の終わりごろの様子を伝える重要な古墳として、昭和46年12月21日に神奈川県の史跡に指定されました。平成6年3月 川崎市教育委員会
〔 横穴式石室の内部 〕
〔 古墳への招待 〕
【 古墳とは何か 】 古墳とは、土や石を高く積み上げてつくった古い墓のことをいいますが、地下室のような地下式横穴墓や洞穴のような横穴墓などの古い墓も、古墳の仲間と考えられています。
【 いろいろな形の古墳 】 古墳には、かぎ穴のような形をした前方後円墳や馬絹古墳のように丸い形をした円墳、四角い形の方墳、帆立貝のような形の帆立貝形古墳などの種類があります。
【 古墳のしくみ 】
《 外部のしくみ 》古墳の表面には、葺石(ふきいし)といって河原石などを敷きならべたり、筒のような形や家・人物・動物などの形をした埴輪をならべているものがあります。また、古墳のまわりには、周溝(濠)と呼ばれる溝を掘りめぐらしている古墳が多くあります。
《 内部のしくみ 》古墳の内部には、遺体を安置するための石室があります。ここは古墳にとって一番大切な場所です。石室には竪穴式石室と横穴式石室の2種類があります。また、石室をつくらないで、木の棺を粘土などで包みこんで埋めただけのものもあります。竪穴式石室や木棺は古墳時代の初めころからつくられていましたが、横穴式石室は古墳時代の中ごろになってからつくられるようになりました。
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