〔 大仏切り通し 〕 鎌倉市 2020.8.2 ■ Popup[jQueryScript.net] ■ asPopup ■ スポットのページへもどる
【 解説 】![]() ★ 手動です。左右の三角印ボタン[ ![]() ![]() ★ 右上の ![]() ![]() が州崎(すざき)(現在の深沢・山崎)方面から攻め寄せ、激戦となったことが『太平記』に見えていることから、この地も戦場になった可能性があります。大仏切通は、江戸時代に経路が変更され、現在の県道鎌倉藤沢線ができたため大規模な破壊を免れ、付近に造られた平場や、ここに開口(かいこう)する「やぐら」と呼ばれる岩窟(がんくつ)、そして切岸(きりぎし)などと共に、かつての鎌倉の幹線道路のあり方を、今によく伝えています。 平成20年3月 鎌倉市教育委員会 ![]() 極楽洞は、『江ノ電』の愛称で親しまれている江ノ島電鉄株式会社が所有する煉瓦造りの抗門で、右手の桜橋から見ることができます。アーチの頂部に2箇所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいもので、今なお建設当時の原形をとどめています。江ノ電が極楽洞を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせます。 ![]() 江ノ島電鉄は明治35年(1902年)に開業し、ほぼ当時の路線で営業している電車としては日本で最古である。極楽洞は、江ノ島電鉄唯一のトンネルで明治40年(1907年)竣工。藤沢方には極楽洞、鎌倉方には千歳開道と表示されており、建設当時の煉瓦張りがそのまま残されている。平成22年(2010年)、鎌倉市の景観重要建築物などに指定されている。 延長:209m / 高さ:5.285m / 幅:3.940m ![]() ● 月影ヶ谷(阿仏尼滞在の地) 鎌倉時代中期の女流歌人、阿仏尼は夫である藤原為家の没後、先妻の子為氏と実子為相とのあいだにおこった遺産相続の訴訟のため、京都から鎌倉へ下った。その間のことを記したのが「十六夜日記」で、前半は東海道の紀行文、後半は鎌倉での日記となっている。鎌倉では月影ヶ谷に滞在した。「十六夜日記」には次のように記されている。 東にて住む所は、月影ヶ谷とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いと荒し。山寺の傍なれば、のどかにすごくて、浪の音松風絶えず。 (引用文献 新日本古典文学大系51 岩波書店 平成2年) さる程に、極楽寺の切通しへ向はれたる大館次郎宗氏、本間に討たれて、兵ども片瀬・腰越まで引き退きぬと聞こえければ、新田義貞、逞兵二万余騎を率して、二十一日の夜半ばかりに、片瀬・腰越をうち回り、極楽寺坂へうちのぞみたまふ。明け行く月に敵の陣を見たまへば、、北は切通しまで山高く路けはしきに、木戸をかまへかい楯を掻いて、数万の兵陣を並べて並みゐたり。 (引用文献 新潮日本古典集成 新潮社 昭和55年) 詳細は鎌倉文学館(長谷1−5−3・電話 23-3911)にお尋ねください。 平成8年2月 鎌倉市教育委員会/鎌倉文学館 ![]() 江ノ島電鉄は明治35年(1902年)に開業し、ほぼ当時の路線で営業している電車としては日本で最古である。極楽寺は明治37年(1904年)開業。駅舎はかなり古い(昭和10年代)木造形式で、緑豊かな街並みの中に鎌倉らしい佇まいを見せる。平成11年(1999年)に関東の駅100選に選ばれている。駅舎の裏手に広がる石積擁壁は建設当時のもので、擁壁の上には駅名の由来にもなっている真言律宗の極楽寺がある。 |