【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 今熊神社 〕 今熊神社の元社は現正福寺の西にある熊野権現社(通称:森)と考えられています。今熊神社の履歴について正式な古記録はありませんが、川口村四分絵図(寛保元年=1741)によると今熊山の山頂にはまだ神社はなく、新編武蔵風土記稿(文政5年=1822)や武蔵名勝図会(文政6年=1823)からは40〜50年頃より参拝者が訪れているとの記録から、寛保年間後半〜安永年間(1772〜1780)頃に森から祠を今熊山の山頂に移し、新たな神社として「今」を付けた今熊野権現社が出来たと考えられます。その後、文化・文政年間(1810〜1826)頃に山頂に神社社殿が完成し、参拝道は南から登る道を整備し鳥居も3ヶ所建てました。今熊神社として最も繁栄したのはこの頃から江戸時代後期頃のようです。当時の世相と行方不明者探しとが絡み合いその祈願で“関東の呼ばわり山”と称され有名になったからです。山頂の神社周りの玉垣の寄進者名から遠方より多くの参拝者が来ていることが判ります。当時、この規模の神社としては珍しく祈願成就する今熊神社を勧請して祀ることにした社があちこちにありました。
※ 山頂:今熊神社奥の院 / 山麓:今熊神社遥拝殿 《 上川の里づくり運営委員会 》
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