〔 刈寄山(かりよせやま)〕 東京都あきる野市 2021.12.29  ■ 山のページへもどる
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[ 1/140 ] 「武蔵五日市」駅を出て [ 2/140 ] バスのりば。2番のりばから「JR・京王八王子駅」行きに乗る。 [ 3/140 ] 「今熊山(いまくまさん)登山口」バス停で降りる。220円。今熊山の読み方は「いまくまやま」。 [ 4/140 ] 後ろを振り返って。バス道路をもどる。 [ 5/140 ] トンネルのところまで戻る。左前方に「今熊神社入口」石標がたっている。 [ 6/140 ] 道路を横断。「新小峰トンネル」手前を左へ入る。 [ 7/140 ] 「今熊神社入口」を通過。「今熊神社は直進/これより1,100メートル先です」と書いてある。 [ 8/140 ] 「今熊山 正福寺」石標を通過する [ 9/140 ] 分岐点。案内板がたっている。 [ 10/140 ] 方角表示板を確認。右は「小峰・今熊山・金剛の滝」。 [ 11/140 ] 左「今熊山 1.6kmを経て 刈寄山 4.3km 陣場山へ」向かう [ 12/140 ] 案内図を確認する [ 13/140 ] 「今熊ハイキングコース」表示板 [ 14/140 ] 「今熊山を経て刈寄山・陣場山」へ [ 15/140 ] 今熊神社に到着。ここは「今熊神社 遥拝殿」。「地図・多摩百山より」参照。 [ 16/140 ] 鳥居をくぐる [ 17/140 ] 方角表示板 [ 18/140 ] 「由緒」 [ 19/140 ] 本殿 [ 20/140 ] 階段をのぼって登山道へ入る [ 21/140 ] 登山道の様子 [ 22/140 ] 階段みちをのぼる [ 23/140 ] 「消火用水」を通過 [ 24/140 ] 見晴らしのいい場所。左方向の景色。 [ 25/140 ] 少しズームイン [ 26/140 ] ズームイン [ 27/140 ] 都心方面のビル群 [ 28/140 ] 見晴らし台のような場所に到着 [ 29/140 ] 展望がひらけている。ズームイン。 [ 30/140 ] 市街地を望む。ズームイン。 [ 31/140 ] 遠くに雪をかぶった山並みが見える。ズームイン。 [ 32/140 ] 同上 [ 33/140 ] 広場の様子。以上、見晴らし台のような場所にて。 [ 34/140 ] 細い「しめ縄」をくぐる [ 35/140 ] トイレの場所へ出る [ 36/140 ] 「都立秋川丘陵自然公園 今熊山園地便所」。壁の案内図を確認する。 [ 37/140 ] 刈寄山から沢渡橋(沢戸橋の間違いと思われる)方面、「道荒れている」とのこと。大丈夫でした。 [ 38/140 ] トイレ前の広場 [ 39/140 ] ここも見晴らしのいい場所 [ 40/140 ] 分岐点 [ 41/140 ] 方角確認。「今熊山頂 0.1km」へ。 [ 42/140 ] 参道の様子 [ 43/140 ] 「今熊開運稲荷社」 [ 44/140 ] 今熊山に到着 [ 45/140 ] 「今熊山 標高 505m」標柱。「今熊山」参照。 [ 46/140 ] 「都立秋川丘陵自然公園 かたらいの路(戸倉三山コース)」 [ 47/140 ] 奥に鳥居が見える [ 48/140 ] 「今熊山から東京スカイツリーが見えます」の案内板 [ 49/140 ] 東京スカイツリー。ズームイン。 [ 50/140 ] 「今熊神社」の鳥居 [ 51/140 ] 本殿。「奥の院」と思われる。「解説」参照。 [ 52/140 ] 方角表示板。「刈寄山 3km」へ。 [ 53/140 ] 「今熊神社 本殿」表示板 [ 54/140 ] 「今熊神社」案内板。「解説」参照。 [ 55/140 ] 山頂広場の様子 [ 56/140 ] さっきの分岐点へもどる。「刈寄山 2.9km」へ。 [ 57/140 ] 登山道を進む [ 58/140 ] 「入山峠」方面へ [ 59/140 ] 右へ [ 60/140 ] 正面に赤と白の鉄塔が見える [ 61/140 ] 「刈寄山」へ [ 62/140 ] 前方に方角表示板 [ 63/140 ] 「刈寄山 1.5km」地点。「今熊山 1.5km」地点。奥にも方角表示板がある。 [ 64/140 ] 奥へ。見晴らしのいい場所。 [ 65/140 ] 伐採地かもしれない [ 66/140 ] 右方向のピークに登ってみる [ 67/140 ] ピーク地点から後ろを振り返る。見晴らしのいい場所へもどり、左方向のピークへ登る。 [ 68/140 ] ピーク地点。方角表示板の破損。 [ 69/140 ] 表示板 [ 70/140 ] 黒い手書きの文字で「舟子オネノ頭 ▲」と書かれている [ 71/140 ] 「刈寄山」へ。以上、ピーク地点にて。 [ 72/140 ] 合流地点へおりる [ 73/140 ] 後ろを振り返って [ 74/140 ] すぐまた分岐点。左は「刈寄山(まき道)」。 [ 75/140 ] 「刈寄山」へ。後ろを振り返って。 [ 76/140 ] 階段みちをのぼる [ 77/140 ] ピーク地点。「消火用水」が置かれている。 [ 78/140 ] 合流地点へおりる [ 79/140 ] 分岐点。左の斜面をのぼる。左「豆佐嵐山」の方角表示板をたてたい。「地図」参照。 [ 80/140 ] 豆佐嵐山に到着 [ 81/140 ] 「豆佐嵐山(ずさわらしさん)648m」表示板 [ 82/140 ] 「刈寄山」へ [ 83/140 ] 山頂広場の様子 [ 84/140 ] 倒木奥の登山道をくだる。以上、豆佐嵐山にて。 [ 85/140 ] 右方向からの登山道と合流する [ 86/140 ] 後ろを振り返って [ 87/140 ] 左斜面に階段が設置されているが、右の道へ進む [ 88/140 ] 黒い柵の方へ [ 89/140 ] 鉄塔を通過 [ 90/140 ] 分岐点。直進する。 [ 91/140 ] 確認。「刈寄山・沢戸橋・五日市」へ。 [ 92/140 ] 開けた場所へ出る [ 93/140 ] 左方向の景色 [ 94/140 ] 同上 [ 95/140 ] 前方の景色 [ 96/140 ] 分岐点 [ 97/140 ] 「刈寄山」へ。同所にて。 [ 98/140 ] 方角表示板を通過 [ 99/140 ] 「野生動物調査用カメラ」 [ 100/140 ] 分岐点 [ 101/140 ] 表示板を確認 [ 102/140 ] 刈寄山に到着 [ 103/140 ] 山頂 [ 104/140 ] 「刈寄山 標高 687.1m」標柱。「刈寄山」参照。 [ 105/140 ] 「二等三角点」 [ 106/140 ] 山頂からの眺望 [ 107/140 ] ズームイン [ 108/140 ] 山頂広場の様子。さっきの分岐点にもどる。 [ 109/140 ] 「・悪路!/・土砂崩落/・沢を渡る場所がわかりにくい」の注意書き。大丈夫でした。 [ 110/140 ] 木に白いペンキが塗られている [ 111/140 ] 方角表示板。わかりやすい表示板、ありがとうございます。 [ 112/140 ] ここも表示板が設置されている。左へ。直進しないよう木を倒してある。 [ 113/140 ] 確認。「刈寄林道」へ。 [ 114/140 ] 「刈寄山に至る」の表示板 [ 115/140 ] 「武蔵五日市」。同所にて。 [ 116/140 ] 沢へおりる [ 117/140 ] 表示板を確認。「沢戸橋 沢を渡る」。 [ 118/140 ] 登山道の様子。同所にて。 [ 119/140 ] ここも沢を渡る [ 120/140 ] 「沢戸橋方面 沢を渡る」。同所にて。 [ 121/140 ] 土砂崩落の場所と思われる。右前方に登山道がのびている。 [ 122/140 ] 沢沿いに進む [ 123/140 ] 「△ 猪畑の峰/刈寄山」と書かれている。「刈寄山」参照。現在地は「刈寄山登山口」。 [ 124/140 ] 迂回路の設置場所。左へ。 [ 125/140 ] 迂回路 [ 126/140 ] 材木の伐採作業中と思われる [ 127/140 ] 後ろを振り返って [ 128/140 ] 刈寄林道をくだる [ 129/140 ] 分岐点 [ 130/140 ] 「沢戸橋バス停へ 30分」 [ 131/140 ] 「沢戸橋」へ。以上、分岐点にて。 [ 132/140 ] 「みなと区民の森 センター口」を通過 [ 133/140 ] 刈寄川に沿って林道をくだる [ 134/140 ] 「みなと区民の森」標柱を通過 [ 135/140 ] 前方「新久保川原橋(しんくぼかわらばし)」を渡る [ 136/140 ] 「林道 刈寄線(起点)」案内板 [ 137/140 ] 新久保川原橋を渡ってバス道路へ出る。右前方の青い橋が「沢戸橋(さわどばし)」。左へ。 [ 138/140 ] 前方に「沢戸橋」バス停が見える [ 139/140 ] 「かたらいの路 秋川丘陵コース」案内板 [ 140/140 ] 「沢戸橋」バス停スタンド。1:42発のバスに乗る。武蔵五日市駅まで200円。
【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1今熊神社 〕 今熊神社の元社は現正福寺の西にある熊野権現社(通称:森)と考えられています。今熊神社の履歴について正式な古記録はありませんが、川口村四分絵図(寛保元年=1741)によると今熊山の山頂にはまだ神社はなく、新編武蔵風土記稿(文政5年=1822)や武蔵名勝図会(文政6年=1823)からは40〜50年頃より参拝者が訪れているとの記録から、寛保年間後半〜安永年間(1772〜1780)頃に森から祠を今熊山の山頂に移し、新たな神社として「今」を付けた今熊野権現社が出来たと考えられます。その後、文化・文政年間(1810〜1826)頃に山頂に神社社殿が完成し、参拝道は南から登る道を整備し鳥居も3ヶ所建てました。今熊神社として最も繁栄したのはこの頃から江戸時代後期頃のようです。当時の世相と行方不明者探しとが絡み合いその祈願で“関東の呼ばわり山”と称され有名になったからです。山頂の神社周りの玉垣の寄進者名から遠方より多くの参拝者が来ていることが判ります。当時、この規模の神社としては珍しく祈願成就する今熊神社を勧請して祀ることにした社があちこちにありました。
 ※ 山頂:今熊神社奥の院 / 山麓:今熊神社遥拝殿   《 上川の里づくり運営委員会 》