〔 天狗岩 〕
東京都青梅市 2021.10.18
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〔 日本山名事典:
〕
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〔 1/120 〕 青梅線「宮ノ平(みやのひら)」駅を出て
〔 2/120 〕 日向和田駅方面へ歩く。国道411号線にて。
〔 3/120 〕 前方の信号を左折する
〔 4/120 〕 和田橋をわたる。下は多摩川。
〔 5/120 〕 上流の景色
〔 6/120 〕 吉野街道へ入る。「稲荷神社前」バス停にて。
〔 7/120 〕 稲荷神社を迂回、左前方の道へ入る。「梅ヶ谷峠入口」交差点、東京都水道局「梅郷配水所」にて。
〔 8/120 〕 左の坂道へ。正面に方角表示板が見える。
〔 9/120 〕 表示板。「天狗岩 2.8km/馬引沢(まひきざわ)峠 3.7km」へ。「天狗岩自然歩道入口」にて。
〔 10/120 〕 「天狗岩 2.7km・馬引沢峠 3.6km」地点
〔 11/120 〕 林道の様子
〔 12/120 〕 「並木入(なみきいり)林道」案内板を通過
〔 13/120 〕 左のやま道へ入る
〔 14/120 〕 竹やぶを通過
〔 15/120 〕 左へ。石垣の上に方角表示板がある。
〔 16/120 〕 表示板を確認する
〔 17/120 〕 分岐点。右へ。
〔 18/120 〕 「天狗岩 2.1km・馬引沢峠 3.0km」地点。後ろを振り返って。同所にて。
〔 19/120 〕 分岐点。左へ。
〔 20/120 〕 表示板確認。きめ細かい表示板の設置に感謝。
〔 21/120 〕 表示板の奥をのぞいてみる。盛り土だろうか。
〔 22/120 〕 左に祠(ほこら)がある
〔 23/120 〕 祠
〔 24/120 〕 「松龍山 鎮守堂 白水社」石標。以上、分岐点にて。
〔 25/120 〕 重機で造成中かもしれない
〔 26/120 〕 ピーク地点に到着
〔 27/120 〕 方角案内
〔 28/120 〕 「天狗岩 1.2km・馬引沢峠 2.1km」
〔 29/120 〕 方角案内
〔 30/120 〕 分岐点(と思った)。左(階段みち)右(登山道)どちらも前方で合流。右が正規ルートと思われる。
〔 31/120 〕 開けた場所を通過。右手の景色。
〔 32/120 〕 「長淵山ハイキングコース」を歩いているようだ。現在位置を確認する。
〔 33/120 〕 ここもピーク地点のようだ
〔 34/120 〕 「天狗岩 0.8km」地点
〔 35/120 〕 「和田町自治会」の案内板
〔 36/120 〕 「馬引沢峠/旧二ツ塚峠方面」の方角案内板
〔 37/120 〕 見晴らしのいい場所
〔 38/120 〕 「天狗岩自然遊歩道/標高 412m」標柱。「日の出 山の会」による設置。
〔 39/120 〕 天狗岩の分岐点に到着
〔 40/120 〕 「天狗岩 0.2km」地点
〔 41/120 〕 「天狗岩」へ
〔 42/120 〕 階段みちをくだる
〔 43/120 〕 岩場をのぼる
〔 44/120 〕 「天狗岩」標柱。「地図(Mapion)」参照。
〔 45/120 〕 奥がある
〔 46/120 〕 周辺の山々、市街地を望む
〔 47/120 〕 ズームイン
〔 48/120 〕 さらに奥へ。通行注意。
〔 49/120 〕 先端の様子
〔 50/120 〕 山々に囲まれた市街地の様子がよくわかる。以上、天狗岩にて。
〔 51/120 〕 分岐点へもどる。「赤ぼっこ」へ。
〔 52/120 〕 赤ぼっこ分岐点に到着
〔 53/120 〕 「赤ぼっこ 0.1km」地点
〔 54/120 〕 「赤ぼっこ」へ
〔 55/120 〕 消火用水を通過
〔 56/120 〕 赤ぼっこ
〔 57/120 〕 絞りをマイナス側にセットして
〔 58/120 〕 「赤ぼっこ」案内板。「解説」参照。赤土を「赤ぼっこ」と呼ぶようだ。案内板の「裏面」を確認し忘れた。
〔 59/120 〕 「赤ぼっこ 409.5m」標柱。手前は「三等三角点」。「赤ボッコ」参照。
〔 60/120 〕 ポストの中に「赤ぼっこノート」がある
〔 61/120 〕 「赤ぼっこ/標高 409.5m」標柱
〔 62/120 〕 赤ぼっこの先端。展望する方角の案内板が設置されている。
〔 63/120 〕 「東京スカイツリー方面」
〔 64/120 〕 ズームイン
〔 65/120 〕 「西武ドーム方面」
〔 66/120 〕 ズームイン
〔 67/120 〕 「御岳山方面」
〔 68/120 〕 ズームイン
〔 69/120 〕 「吉野梅郷方面」。ズームイン。
〔 70/120 〕 赤ぼっこの様子
〔 71/120 〕 分岐点へもどる。「馬引沢峠 0.8km・二ツ塚峠 1.7km」へ向かう。
〔 72/120 〕 階段みち
〔 73/120 〕 登山道の様子
〔 74/120 〕 分岐点。左へ。
〔 75/120 〕 「馬引沢峠 0.5km・二ツ塚峠 1.4km」へ。コースタイムではなく、距離での表示がうれしい。
〔 76/120 〕 後ろを振り返って。金網沿いに進む。
〔 77/120 〕 「キンラン 6月/東京たま広域資源循環組合 環境保全の取組」パネル
〔 78/120 〕 「馬引沢峠/旧二ツ塚峠方面」へ。以上、分岐点にて。
〔 79/120 〕 「コチドリのひな 6月」パネル
〔 80/120 〕 木の名札がついている
〔 81/120 〕 「馬頭観音」を通過。「解説」参照。
〔 82/120 〕 馬引沢峠に到着。小学校による各種プロジェクトの取り組み紹介パネルが展示されている。
〔 83/120 〕 「二ツ塚峠 0.9km」地点
〔 84/120 〕 「馬引沢峠」標柱。「馬引沢峠」参照。
〔 85/120 〕 「標高 329m/馬引沢峠」標柱。以上、馬引沢峠にて。
〔 86/120 〕 分岐点。右へ。
〔 87/120 〕 「二ツ塚峠 0.7km」へ。後ろを振り返って。
〔 88/120 〕 「旧二ツ塚峠」へ。以上、分岐点にて。
〔 89/120 〕 廃棄物処分場の案内板を通過
〔 90/120 〕 「日の出アルプス」を歩いているようだ
〔 91/120 〕 旧二ツ塚峠に到着
〔 92/120 〕 「二ツ塚物語」案内板。「解説」参照。
〔 93/120 〕 方角表示板
〔 94/120 〕 天祖神社へ向かう
〔 95/120 〕 「長淵山ハイキングコース」で現在位置を確認。以上、旧二ツ塚峠にて。
〔 96/120 〕 方角表示板を通過
〔 97/120 〕 分岐点
〔 98/120 〕 表示板を確認する
〔 99/120 〕 登山道の様子
〔 100/120 〕 青い小屋を通過する
〔 101/120 〕 林道へおりるようだ。右下に墓地が見える。
〔 102/120 〕 林道へおりて振り返る
〔 103/120 〕 簡易トイレが設置されている。同所にて。
〔 104/120 〕 左手、一段高い登山道へ入る
〔 105/120 〕 分岐点。天祖神社は左へ。右の道を進んでしまった。標識をたてたい場所。
〔 106/120 〕 キノコの休憩所を通過
〔 107/120 〕 「倒木のため 立入禁止」の注意書き。100mくらい直進したが、道を間違えているような気がして引き返す。
〔 108/120 〕 キノコの休憩所まで引き返す。休憩所の右側に道がついている。右奥へ入り、正規ルートに合流する。
〔 109/120 〕 左へ。直進しないよう木を倒してあると思われるが分かりにくい。ここも標識をたてたい場所。
〔 110/120 〕 方角表示板。「 ← 天祖神社」へ。
〔 111/120 〕 休憩所を通過
〔 112/120 〕 右手に天祖神社が見えてくる
〔 113/120 〕 本殿
〔 114/120 〕 境内の様子
〔 115/120 〕 鳥居を出て振り返る
〔 116/120 〕 戦没者慰霊碑がある
〔 117/120 〕 慰霊碑の高台にて
〔 118/120 〕 神社の石段をおりる。道路へおりて左へ進み、青梅駅へ向かう。
〔 119/120 〕 「調布橋」から上流を望む
〔 120/120 〕 青梅駅に到着
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〔
“赤ぼっこ”
〕 1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災によりこの周りの表土が崩落し赤い土が露出した山となってしまいました。それ以来、地元ではこの付近を「赤ぼっこ」と呼ぶようになりました。和田町自治会では和田町森林組合の協力を得て、平成20年に東京都の「花粉の少ない森づくり運動」の一環としてそれまであった杉の木を伐採し、山桜を植樹、平成27年には、ソメイヨシノ、ゲンカイツツジを植栽するなど、ハイキングの休憩スポットとして整備・管理を行っています。
平成28年3月 (裏面もどうぞ)
〔
馬頭観音
〕
〔
二ツ塚物語
〕 旧二ツ塚の頂に、小さな二ツの塚があります。桜の木の根元にあって、今も花や木が供えられています。今から何百年もの昔、この峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。不幸にして母親は、不治の病にかかりだんだんと病も悪くなり、死が近い事を悟っていました。ある日のこと、見舞に来てくれた村人に、母親はこんなことをお願いしました。
「わしはもうすぐ死ぬ。わしは村の為に何の役に立つ事もできなかった。だからわしを生きているうちに峠の頂に埋めておくれ、死んだらこの峠を守るから」 それを聞いていた娘は、母を思い、「私を一緒に埋めておくれ」と涙ながらに頼みました。
しかたなく村人たちは大きな籠に母と娘を一緒に入れて埋める事にしました。村人たちは籠を峠の頂に埋め二ツの塚を作って弔いました。それ以来二ツ塚と呼ばれ、薄幸の親子を偲んで今も、掃除や土盛をして供養をしているとのことです。
〔
二つ塚峠物語
〕 今から何百年もの昔、峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。不幸にして、不治の病にかかった母親は、山に生きたまま埋められることを願い、母思いの娘も、一緒に葬られることを涙ながらに願って、この地に埋められました。それ以来、二つ塚と呼ばれ、薄幸(はっこう)の親子をしのんで、心ある村人が、掃除や土盛りをして、今も供養しているのです。