〔 天狗岩 〕 東京都青梅市 2021.10.18  Banner.js [jQueryScript.net]  ● 山のページへもどる
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#1-1“赤ぼっこ” 〕 1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災によりこの周りの表土が崩落し赤い土が露出した山となってしまいました。それ以来、地元ではこの付近を「赤ぼっこ」と呼ぶようになりました。和田町自治会では和田町森林組合の協力を得て、平成20年に東京都の「花粉の少ない森づくり運動」の一環としてそれまであった杉の木を伐採し、山桜を植樹、平成27年には、ソメイヨシノ、ゲンカイツツジを植栽するなど、ハイキングの休憩スポットとして整備・管理を行っています。
 平成28年3月 (裏面もどうぞ)

#2-1 #2-2馬頭観音 〕 

#3-1二ツ塚物語 〕 旧二ツ塚の頂に、小さな二ツの塚があります。桜の木の根元にあって、今も花や木が供えられています。今から何百年もの昔、この峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。不幸にして母親は、不治の病にかかりだんだんと病も悪くなり、死が近い事を悟っていました。ある日のこと、見舞に来てくれた村人に、母親はこんなことをお願いしました。
 「わしはもうすぐ死ぬ。わしは村の為に何の役に立つ事もできなかった。だからわしを生きているうちに峠の頂に埋めておくれ、死んだらこの峠を守るから」 それを聞いていた娘は、母を思い、「私を一緒に埋めておくれ」と涙ながらに頼みました。
 しかたなく村人たちは大きな籠に母と娘を一緒に入れて埋める事にしました。村人たちは籠を峠の頂に埋め二ツの塚を作って弔いました。それ以来二ツ塚と呼ばれ、薄幸の親子を偲んで今も、掃除や土盛をして供養をしているとのことです。
#3-2二つ塚峠物語 〕 今から何百年もの昔、峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。不幸にして、不治の病にかかった母親は、山に生きたまま埋められることを願い、母思いの娘も、一緒に葬られることを涙ながらに願って、この地に埋められました。それ以来、二つ塚と呼ばれ、薄幸(はっこう)の親子をしのんで、心ある村人が、掃除や土盛りをして、今も供養しているのです。