〔 屏風山(びょうぶやま)〕 箱根町 2021.9.20  ● Background Image Carousel[jQueryScript.net]
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〔 1/70 〕 箱根湯本駅のバス乗り場。前方A番のりばから「箱根町港」行きに乗る。
〔 2/70 〕 終点2つ手前の「箱根関所跡」バス停でおりる。980円。「箱根町港」方面の景色。
〔 3/70 〕 後ろを振り返って。左前方は関所入り口。前方、カーブミラーの場所が登山口。
〔 4/70 〕 「ハイキングコース」の案内板がある
〔 5/70 〕 左の道へ入る
〔 6/70 〕 案内板を確認。「屏風山 40分」へ。
〔 7/70 〕 「屏風山コース案内図」
〔 8/70 〕 民家の間を通り抜ける
〔 9/70 〕 登山道へ入る
〔 10/70 〕 「管理ナンバー案内マップ」。50mごとに管理ナンバーが設置されている由。
〔 11/70 〕 方角表示板を通過
〔 12/70 〕 登山道の様子
〔 13/70 〕 笹のトンネル
〔 14/70 〕 「屏風山 30分」地点を通過
〔 15/70 〕 ハイキングコースの案内表示
〔 16/70 〕 階段みち
〔 17/70 〕 旅館だろうか、裏手を通過する
〔 18/70 〕 「足元がすべりやすいので注意」の表示
〔 19/70 〕 「歩道管理 No.10」を通過
〔 20/70 〕 長い階段みちをのぼる
〔 21/70 〕 さらに階段が続く
〔 22/70 〕 クサリが設置されている
〔 23/70 〕 急な階段なので、通行注意
〔 24/70 〕 階段の様子。前方にクサリが見える。
〔 25/70 〕 急な階段を登りおえて
〔 26/70 〕 方角表示板
〔 27/70 〕 確認。「屏風山 20分」へ。
〔 28/70 〕 タイワンホトトギス(台湾杜鵑草)と思われる。ユリ科。
〔 29/70 〕 登山道の様子
〔 30/70 〕 「たき火に注意」の表示板。表示はないがこの辺が「要害山」と思われる。「市販地図」参照。
〔 31/70 〕 登山道の様子
〔 32/70 〕 倒木を通過
〔 33/70 〕 「境界 見出標 林野庁」の赤い標識を通過
〔 34/70 〕 方角表示板
〔 35/70 〕 木々の間から富士山を望む。ズームイン。
〔 36/70 〕 駒ヶ岳を望む。ズームイン。
〔 37/70 〕 「屏風山」へ
〔 38/70 〕 「歩道管理 No.30」を通過する
〔 39/70 〕 屏風山に到着
〔 40/70 〕 「屏風山」案内板。「解説」参照。「屏風山(日本山名事典)」参照。
〔 41/70 〕 「甘酒茶屋 30分」地点
〔 42/70 〕 山頂広場の様子。甘酒茶屋へ向かう。
〔 43/70 〕 大木を通過
〔 44/70 〕 「ミツバツツジ(ツツジ科)」の名札
〔 45/70 〕 「リョウブ(リョウブ科)」。樹木の名前が分かりやすい。
〔 46/70 〕 「イタヤカエデ」
〔 47/70 〕 ベンチを通過
〔 48/70 〕 「甘酒茶屋」へ
〔 49/70 〕 せせらぎ沿いの登山道を進む
〔 50/70 〕 登山道の様子
〔 51/70 〕 林道を横断する
〔 52/70 〕 丸太の橋
〔 53/70 〕 樹林地帯を通り抜ける
〔 54/70 〕 せせらぎを渡る
〔 55/70 〕 前方に舗装路が見えてくる
〔 56/70 〕 「屏風山」の案内表示
〔 57/70 〕 バス道路へ出る
〔 58/70 〕 ハイキングコース案内板
〔 59/70 〕 出てきた道を振り返って。「甘酒茶屋 5分」へ。
〔 60/70 〕 ゲンノショウコ(現の証拠)。フウロソウ科。
〔 61/70 〕 同上。日本古来の代表的な薬草とのこと。
〔 62/70 〕 同上。バス道路にて。
〔 63/70 〕 甘酒茶屋へ
〔 64/70 〕 甘酒茶屋の駐車場
〔 65/70 〕 甘酒茶屋
〔 66/70 〕 甘酒(お新香付き)。400円。
〔 67/70 〕 「甘酒茶屋」案内板と石碑。「解説」参照。
〔 68/70 〕 茶屋のたたずまい
〔 69/70 〕 「甘酒茶屋について」。「解説」参照。
〔 70/70 〕 「甘酒茶屋」バス停から畑宿経由、「箱根湯本駅」へ。710円。
【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1屏風山(びょうぶやま)(948M)〕 新期外輪山の一つです。須雲川上流沿いの絶壁を、屏風に見立てて、その名が付いたといわれています。山頂には、小田原北条氏の砦(とりで)の跡が残っています。

#2-1〔 日本遺産 14、甘酒茶屋 〕 赤穂浪士の一人、神崎与五郎の詫状文伝説を伝えるこの茶屋は、畑宿と箱根宿のちょうと中ほどにあり、旅人が一休みするには、最適な場所でした。当時このような茶屋は箱根八里間で十三軒あり、箱根越えの旅人でにぎわいました。

#3-1 #3-2 〔 東海道「箱根地域」における 「甘酒茶屋」について 〕 江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。東海道はその中でも主要な街道で、この箱根地域(湯本〜箱根関所間、通称「東坂(ひがしざか)」)は道が大変険しく、当時の旅人が普通一日十里(一里は4キロメートル)を旅するところ、箱根地域では八里しか歩けなかったようです。道中には「甘酒」をふるまう茶屋が設けられるようになり、文政年間(1818〜29)には「甘酒小屋」と記録があり、箱根地域には9箇所設けられていたようです。この地には4軒あり、付近の追込坂上(おいこみざかうえ)、樫木坂上(かしのきざかうえ)、猿滑坂下(さるすべりざかした)にもありました。しかし、明治13年(1880)、国道1号の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在ではこの地に1軒が残るのみになっています。神奈川県箱根町教育委員会