【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 相模国府祭 神揃山(かみそろいやま)祭場 〕 相模国府祭の起源は平安時代に遡ることができ、朝廷から派遣された国司は先ず国内の有力神社を巡拝する習わしであったが、総社の制により巡拝していた各社を総社に合わせ祀る事となり、その国司行政の祭礼として一千有余年の伝統を今に伝える祭事である。相模国府祭は、毎年5月5日に相模国内の六社である一之宮寒川神社(寒川町)、二之宮川勾(かわわ)神社(二宮町)、三之宮比々多神社(伊勢原市)、四之宮前鳥(さきとり)神社(平塚市)、一国一社平塚八幡宮(平塚市)、総社六所神社(大磯町)が当時の相模国府である現在の大磯町国府本郷の神揃山及び大矢場祭場(神揃山より南へ300m程に位置)に会し、天下泰平・五穀豊穣を祈る祭典である。国府祭当日は、六所神社を除く五社の神輿は早朝に神揃山へ向けて出発し、途中それぞれの化粧塚で威儀と整え、一之宮より順次定められた御成道を通り、神揃山の祭場に着御となる。五社の神輿が神揃山に全て揃うと「座問答」の神事が行われる。座問答は、相模国成立の際、一之宮寒川神社と二之宮川匂神社が一之宮の座を巡る論争が儀式化された神事といわれ、神座を表す虎の座を上座へ三度ずつ移動させた後、三之宮比々多神社宮司により「いづれ明年まで」との仲裁が入り、来年に論争が持ち越されるのである。座問答が無事に執り納められると、一之宮より順次下山し大矢場祭場へと向かう。
〔 鷹取神社の社叢林(しゃそうりん) 大磯町教育委員会 平成20年12月 〕 神奈川県指定天然記念物(平成4年2月14日指定)
鳥居から本殿までの参道沿いと本殿周辺が指定の範囲です。指定区域はタブノキが優占する林で、スダジイ、カゴノキ、ヤブニッケイ、モチノキ、シロダモとともに常緑広葉樹が形成されています。傾斜地には神奈川県中部を北限域とするモクレイシ混生し、本殿周辺にはタブノキ、スダジイ、カゴノキ、カラスザンショウの巨木が見られます。1ヘクタールに及ばない小面積ですが、本来の自然植生が残されており、学術的に貴重な樹叢です。
〔 鷹取神社御由緒と沿革 〕
鎮座地:大磯町生澤1,401 / 祭神:木花咲夜姫命(このはなのさくやひめのみこと)
境内地:277坪 / 保安林:2,400余坪
鷹取神社は、生澤地区の鎮守氏神様として鷹取山(218.98米)の山頂に鎮座し、御創建は天長3年(826年)3月と伝えられる。御創建当時の名称は「直下社(なおもとやしろ)」と言われた。鎌倉時代の文献東鑑(あづまかがみ)によると「建久2年4月27日相模国生澤直下社神主清包地頭土屋三郎云々」と見える。これによると当神社は鎌倉時代には専任の神主が在住し、執事していた事が知られ大変賑わいを見せた神社であったと思われる。小田原北条氏も信仰が篤く、多くの社領の寄進があり、一説には三百貫と言われる。鷹取山の名は、古くは栗原山等の名があったが現在の名は、徳川家康が平塚の中原で鷹狩りを行った時、その愛鷹がこの山までにげてきて捕らえた事から名付けられた。江戸時代の初め寛文元年三月の当神社棟札には、鷹取直下社造営と見える天正19年徳川家康公より社領二石の御朱印があり御祭が富士浅間社と同じであることから、江戸中期から明治の初め頃までは鷹取浅間社と言われるようになったが、明治6年鷹取神社と現在の名称となり、同年指定村社に列せられた。木花咲夜姫の神様は、大山祇神(おおやまつみのかみ)と言う尊い神様の御子神で、木の花(桜の事)の咲くような美しい姫神様です。湧水を司さどられ豊作物の豊作の守護神であり、又女性の方は熱心に参拝祈願をすると少しずつより美人となっていくという御神徳の高い神様です。
〔 鷹取神社の社叢林 〕 神奈川県指定天然記念物(平成4年2月14日指定)
鷹取神社の周辺は、うっそうとしたスダジイやタブノキなどの常緑広葉樹林で囲まれて、深山に鎮座する神社の風格を思わせています。最も発達した樹林は、鷹取神社西側にみられ、胸高直径125センチのタブノキの老木を伴うタブノキの優占する林で、林高は27メートル、高木層の植被率は90%に達して斜面を被い、これらの樹木が斜面崩壊を防いでいます。神社東側のゆるやかな傾斜地にはタブノキとともに、木肌が鹿の子模様にはがれるカゴノキがみられます。さらに、参道の周辺にはスダジイ林が帯状に残され、傾斜地の尾根部を占めています。また、参道下部や急斜面部には胸高直径が90センチのカラスザンショウや、オオシマザクラ、アカメガシワ、エノキなどの混生した夏緑広葉樹林がみられます。林内にはアオキ、シロダモ、ヤブニッケイ、ヤブツバキなどの常緑の亜高木や低木が優占し、神奈川県の中部を北限とし、沖縄まで分布するモクレイシが混生しています。林床にはカブダチジャノヒゲ、キヅタ、ツルマサキ、ヤブコウジ、ヤブランなどと、県下では比較的個体数の少ないカラタチバナがみられます。鷹取神社の樹叢は、近くにある高麗山の樹林とともに、神奈川県の郷土の森を代表する樹叢として景観的に貴重であるだけでなく、この地の原植生の面影をとどめる学術的にも重要な樹叢であります。 平成5年2月20日 神奈川県教育委員会・大磯町教育委員会 ● お願い:この天然記念物を、伐採したり荒らしたりしないで、大切に保護してください。
〔 鷹取山の自然林 〕 山頂一帯は、大きなタブ、スダジイなどの常緑広葉樹におおわれた県内有数の自然林で、神奈川県の自然環境保全地域と大磯町の文化財に指定されています。
〔 自生している主な樹木 〕 タブ、カゴノキ、スダジイ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、モクレイシ、アオキ、カラタチバナ、トベラ、ヒサカキ、テイカカズラ、ツルグミ
〔 どんないきものとふれあえるかな 〕 この道を歩いてみるといろいろないきものに出会うと思います。かれらがどんな生活をしているかそっと観察してみましょう。 貴重な自然を大切にしましょう!! 環境庁・神奈川県
〔 六所神社 〕 人皇十代崇神天皇の頃(紀元前1世紀頃)、出雲地方よりこの地に氏族が移住し、開墾開発がなされた。そしてこの地を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神である櫛稲田姫命、素戔嗚尊、大己貴尊(大国主命)を御祭神として伊勢神台(現在の石神台、ここより西へ約1kmの山頂)に祀り社を築いた。その後、奈良時代のはじめ元正天皇甲申の歳718年(養老2年)4月8日に現在地に遷ったと伝わる古社で、柳田大明神ともいわれている。平安時代には、相模国の国府がこの地域に置かれ、総社の制により相模国五社(一之宮寒川神社、二之宮川匂神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、一国一社平塚八幡宮)の御分霊が柳田大明神に合わせ祀られ相模国総社となり、社名も六所神社また国府六所宮とも称されるようになった。相模国総社として国司の崇敬はもとより、源頼朝公による戦勝祈願、小田原北条氏綱公による御造営、徳川家康公による五十石の寄進など多くの武将からも格別なる崇敬が寄せられた。現在の御本殿は、小田原北条氏政公により御修復がなされ、御本殿を支える石垣も小田原北条家の寄進と伝えられている。
〔 大磯町指定史跡名勝天然記念物 六所神社の樹林 昭和48年7月20日指定 〕 参道から本殿・社務所周辺、六所公園が指定の範囲です。表参道のケヤキ、本殿脇に連立するケヤキ、イチョウ、社務所脇のタブノキは樹齢が300年を超える巨木で、樹齢・太さ・樹形ともに単木としても高く評価されます。また、針葉樹のクロマツ、カヤや広葉樹のスダジイ、エノキの大木も見られ、数少ない平地の巨木群として貴重な樹林が残されています。平成20年12月 大磯町教育委員会
〔 六所龍神大神社の御由来と御神徳 〕 二千年以上前、出雲国より此の地に櫛稲田姫命様をお祀りした際、櫛稲田姫命様が六所龍神大神様をお連れになられました。龍神大神様は雨水を司り五穀豊穣、厄災を祓い清める霊妙あらたかな御神徳があり、財運向上・出世開運・良縁・健康長寿の信仰があります。ご崇敬の皆様には龍神大神様の御力を賜りますよう祈念し、特に龍神大神様の霊力が強い「己巳(つちのとみ)」の日に龍神祭を執り行っております。ご崇敬の皆様には、左記の日時にて執行致しますので、ぜひ御参列いただき御神徳を賜りますよう御案内申し上げます。 ( 令和2年 龍神祭 日程《 省略 》)
〔 六所神社の御由緒 〕 崇神天皇の御代、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を御祭神として創建されました。中世以降、相模国の総社(そうしゃ)として、都から派遣の国司(こくし)や、源頼朝公を始めとする武家の崇敬を受けました。毎年5月5日の相模国府祭(さがみこうのまち)は神奈川県文化財に指定されております。
〔 木造 武装神形立像(ぶそうしんぎょうりゅうぞう)/木造 女神形立像(じょしんぎょうりゅうぞう) 〕
神奈川県指定重要文化財(平成21年2月3日指定) 《 平成23年3月 大磯町教育委員会 》
武装神形立像は甲冑(かっちゅう)を身につけ、腰を絞り動勢をみせる立ち姿、女神形立像は髻(もとどり)を結った髪を両肩に垂らし、唐衣を着て直立した姿をしています。両像ともに形姿は仏教的ですが、純粋な仏教尊像とは異なる苦悩・瞑想などともとれる神像特有の異相(いそう)表現を看取することができます。両像は、洗練された作風に共通点が認められ、11世紀末から12世紀前半にかけての作と考えられます。像高は武装神形立像が 74.7センチメートル、女神形立像が 69.1センチメートルを量ります。平成18年に大磯町指定有形文化財に指定された後、神奈川県指定重要文化財に指定されました。
〔 六所神社 石垣 〕
寄進:小田原北条氏 / 建造:16世紀頃 / 工法:野面(のづら)積み
「野面(のづら)積み」… 自然石をそのまま積み上げ築造する工法。排水性に優れ非常に強固であり、鎌倉時代後期に始まり戦国時代に最も盛んに築造された。幾度の天災にも揺るぐことなく、400年以上に亘り本殿を支えております。
〔 国府新宿梵鐘(ぼんしょう) 大磯町指定有形文化財(昭和47年6月14日指定)〕 平成20年12月 大磯町教育委員会
寛永8年(1631)の紀年銘を有する。町内に現存する最古の梵鐘です。江戸時代の作例としては一般的ですが、陰刻された銘文中に、国府の政庁である国衙(こくが)に勤務する役人の「在帳(ざいちょう)(庁 ちょう)」という文字がみられることが注目されます。作者は、相模国愛甲郡荻野で代々鋳物師をしていた名家・木村五郎右衛門吉久であり、同人の作となる梵鐘は、県下でも高く評価されています。
〔 宝積院(ほうしゃくいん)のカヤ 大磯町指定史跡名勝天然記念物(昭和47年6月14日指定)〕 平成20年12月 大磯町教育委員会
大磯町で最大級のカヤ。樹齢は300年以上と考えられます。一部本堂付近を除いては周囲に障害物がなく、樹冠形成に適した環境下にあります。樹高は15メートル、胸高周囲は3.2メートルで、樹勢はきわめて旺盛です。地上4メートルから梢にかけて長さ10メートルに達する枝を60数本放射状に出し、直径20メートルの大樹冠を形成しています。このように整った樹形を形づくるのは稀で、非常に貴重なものといえます。
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