【 山の名称について 】
「富士塚」という名称にしましたが、インターネットのサイトや新聞記事では「ふじ山」・「本郷ふじやま」・「ふじ山 約 80m」の記述が見受けられます。「本郷ふじやま公園(公式サイト)」では「ふじやま山頂」の記述も見られますが、園内には「富士塚へのみち」という標識がたっていて、公園入口の案内図やパンフレットも「富士塚」になっています(「案内図」・「散策マップ」参照)。そのまま「富士塚」の名称にしました。公式サイトでは「標高約 80m。古くは『水口山(みなくちやま)』と呼ばれていました」とのこと。
【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 古民家ゾーンご案内 〕 古民家ゾーンには、鍛冶ヶ谷村の名主を務めた「小岩井家」から寄贈をうけ、移築復原された主屋、長屋門の他、各種教室などを行う工作棟があります。江戸時代の名主の屋敷の雰囲気を今に残す主屋内は、見学いただけます。旧小岩井家住宅主屋及び長屋門は、江戸時代末期に建てられたものです。主屋は、式台をつけた座敷が設けられるなど一般の農家に見られない格式ある造りをもっており、長屋門とあわせて、創設当時の姿に復原されています。この建物は、平成14年11月に、主屋、長屋門(表門)とともに市指定有形文化財に指定されました。
〔 旧小岩井家住宅 主屋並びに表門 二棟 附 棟札1枚、埋経札1枚、家相図2枚、経石一括 〕横浜市指定有形文化財(建造物)
構造及び形式:主屋棟 木造、一部厨子二階建、寄棟、茅葺 旧所在地:栄区鍛冶ヶ谷112
表門 長屋門形式、木造、平屋建、寄棟、茅葺 指定年月日:平成14年11月1日
時代:主屋棟 弘化4年(1847)/ 表門 江戸末期
江戸時代、鍛冶ヶ谷村は上野村、中野村、小菅ヶ谷村、桂村、公田村などと合わせて六郷六ヶ村と称され、相模国鎌倉郡に属していました。證菩提寺(円覚寺系)の建武2年(1335)の文書にはすでに村名が見られたと伝えられています。この旧小岩井家主屋及び表門は、小岩井家が鍛冶ヶ谷村の名主を勤めていた時代の建物で、江戸時代末期に建てられたものです。主屋は一部厨子二階とした多室間取りで、式台を付けた縦3室のザシキを付け、小壁を朱の色壁としたり、跳ね上げ壁を用いるなど、一般の農家には見られぬ仕様です。また、側柱や間仕切り境に土台を用いたり、基礎の地業に土丹層を利用するなど耐震的な工夫を凝らすと共に、大黒柱の下に経石を埋めたり、前身建物の大黒柱を保存するなど、厚い信仰心を示していました。また表門は名主の格式を示す長屋門で、式台を持つ主屋に合わせて造られています。幕末の異国の侵略警備で慌ただしい時代に名主の要職を務め、農閑余業に金融、売薬、油屋など多角的な商売を営んで財をなした家として、この建物は建築史的にも特徴をもつものです。
〔 碑文(左から)〕 《 「本郷ふじやま公園(公式サイト)」を参考にしました 》
・ 「小御嶽石尊大權現」
・ 「食行身禄菩薩」(「」の読み方:クウ )
・ 「参明藤開山」( 富士山の神名 )
・ 「南無妙法蓮華経」
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