〔 不動山(ふどうやま)〕
中井町 2020.10.24 [ 日本山名事典:
] ●
slide.js
[ ★ 手動です ] ●
山のページ
〔 BGM:"Cecilia"( by Mr. 田中芳典 )〕[
〕
〔 1/107 〕 「国府津駅開業100周年記念 明治20年7月11日 開業」
〔 2/107 〕 国府津駅。駅前広場にて。
〔 3/107 〕 国道1号線沿いに歩く
〔 4/107 〕 東海道線のすぐ横の通路へ入る
〔 5/107 〕 右前方「天神暗きょ」のトンネルへ。東海道線の下をくぐる。
〔 6/107 〕 御殿場線の下をくぐる。前方の踏切を渡る。
〔 7/107 〕 「時宗 海向山 光明寺」の石柱。直進。方角案内板を確認する。
〔 8/107 〕 「六本松跡 4400m 75分」へ。「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」。
〔 9/107 〕 後ろを振り返って
〔 10/107 〕 舗装路をのぼる
〔 11/107 〕 正面に明神ヶ岳、右に矢倉岳が見える
〔 12/107 〕 みかん畑を通過
〔 13/107 〕 右手に見える海の景色
〔 14/107 〕 立体交差の道路
〔 15/107 〕 分岐点。直進。
〔 16/107 〕 「六本松跡 3,300m」へ
〔 17/107 〕 大きな道路へ出る。左へ。
〔 18/107 〕 カープミラーの案内板に「イノシシ等の野生動物にご注意ください」と書いてある
〔 19/107 〕 明神ヶ岳。右肩の奥に、ちょこっと金時山が見える。左手は山の景色。
〔 20/107 〕 左下に簡易トイレがある
〔 21/107 〕 「西山農道休憩所」
〔 22/107 〕 「西山農道舗装工事完成記念碑」
〔 23/107 〕 右手は広大な海の景色
〔 24/107 〕 分岐点。直進。
〔 25/107 〕 「六本松跡 3,100m」地点
〔 26/107 〕 「五國峠農道記念碑」を通過
〔 27/107 〕 見晴らしのいい場所が随所にある
〔 28/107 〕 周辺の山の景色
〔 29/107 〕 農道の様子
〔 30/107 〕 方角表示板を通過
〔 31/107 〕 「六本松跡 2,400m」
〔 32/107 〕 「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」
〔 33/107 〕 案内図マップ
〔 34/107 〕 左は「風外窟 470m」
〔 35/107 〕 「一本松跡 170m」・「六本松跡 2,050m」地点
〔 36/107 〕 相模湾の景色
〔 37/107 〕 アメジストセージ。シソ科。別名:サルビア・レウカンサ/メキシカン・(ブッシュ)・セージ。
〔 38/107 〕 前を歩く男性は「自分の農地を見にきた」とのこと
〔 39/107 〕 男性と一緒に、眼下に広がる畑を展望
〔 40/107 〕 「こんもり植わっている木はオリーブです」と男性が説明してくれた
〔 41/107 〕 マルバアサガオ(丸葉朝顔)。ヒルガオ科。
〔 42/107 〕 分岐点。高山山頂は右方向へのぼる。
〔 43/107 〕 右下の細い道へ入る。後ろを振り返って。
〔 44/107 〕 鉄塔へ
〔 45/107 〕 高山山頂に到着。「高山」参照。
〔 46/107 〕 手前の、低い石柱が三角点と思われる
〔 47/107 〕 周辺一帯はみかん畑。右方向「六本松跡」へ。
〔 48/107 〕 真鶴半島を望む。同所にて。
〔 49/107 〕 ウォーキングコースの案内板が要所要所に設置されている
〔 50/107 〕 十字路。直進。
〔 51/107 〕 「一本松」に到着
〔 52/107 〕 案内板確認。現在地は「一本松 標高 185メートル」。「六本松跡 370m」へ。
〔 53/107 〕 右へ。「六本松跡 130m」地点。
〔 54/107 〕 「六本松跡」に到着
〔 55/107 〕 左「六本松跡」石標。右、芭蕉の句碑。「芭蕉翁 白雄」の文字が見られる。
〔 56/107 〕 「六本松趾」と書かれている
〔 57/107 〕 方角案内板
〔 58/107 〕 「六本松跡」案内板と「ウォーキングコース案内図」。「解説」参照。
〔 59/107 〕 タヌキが林道を横断した。以上、六本松跡にて。
〔 60/107 〕 不動山へ向かう
〔 61/107 〕 右手に広がる景色
〔 62/107 〕 「曽我山 耕作放棄地 再生活動」案内板を通過
〔 63/107 〕 周辺の景色。手前はセイタカアワダチソウ(背高泡立草/キク科)。
〔 64/107 〕 分岐点。右へ。農作業中の男性に道を教えてもらった。
〔 65/107 〕 不動山への登山口に到着。車の奥へ進む。
〔 66/107 〕 「山火事注意」の注意書きに、黒い手書きの文字で「 ↑ 不動山」と書かれている
〔 67/107 〕 登山道の様子
〔 68/107 〕 分岐点。左の道へ入る。
〔 69/107 〕 踏み跡を確認しながら進む
〔 70/107 〕 約100mで山頂に到着。「不動山」参照。
〔 71/107 〕 「不動山 標高 327.7m」表示板。「下曽我地区 青少年育成会」。
〔 72/107 〕 奥に「不動山(標高;328m)」の表示も見られる
〔 73/107 〕 山頂の様子。前方の斜面をくだる。
〔 74/107 〕 右方向からの登山道と合流
〔 75/107 〕 おりてきた道を確認。後ろを振り返って。
〔 76/107 〕 浅間山(せんげんやま)へ向かう
〔 77/107 〕 十字路。直進。
〔 78/107 〕 電波塔を通過
〔 79/107 〕 「注意。有害鳥獣駆除のためワナを設置。立入禁止」エリアを通過
〔 80/107 〕 分岐点。右は「菅原神社」方面。
〔 81/107 〕 案内板確認。後ろを振り返って。
〔 82/107 〕 奥にも方角案内表示が見える
〔 83/107 〕 確認。手前は「中井中央公園・菅原神社」方面。「仙元塔」へ向かう。
〔 84/107 〕 分岐点。左へ。
〔 85/107 〕 「仙元塔・下曽我」へ。同所にて。
〔 86/107 〕 「仙元塔 中井町教育委員会」石標。「古怒田(こぬた)仙元塔」へ。
〔 87/107 〕 「仙元塔」案内板。「ここは標高 316mの浅間山」と書かれている。「解説」・「浅間山」参照。
〔 88/107 〕 「仙元塔」石柱。右に石像が置かれている。「解説」参照。奥は電波塔。以上、浅間山山頂にて。
〔 89/107 〕 分岐点。案内表示を確認する。
〔 90/107 〕 左は「至 小田原市 梅の里」
〔 91/107 〕 「菅原神社」も同じ方角
〔 92/107 〕 右「いこいの村あしがら 1.5km 15分」・「みかんの花咲く 里山コース」
〔 93/107 〕 右は「至 いこいの村」。左の道へ。
〔 94/107 〕 坂道をくだる。以上、分岐点にて。
〔 95/107 〕 坂道の様子
〔 96/107 〕 右へ
〔 97/107 〕 直進。道なりにくだって行く。
〔 98/107 〕 見晴らしのいい場所へ出る
〔 99/107 〕 箱根方面の山並みを望む
〔 100/107 〕 左:金時山、右:矢倉岳。ズームイン。
〔 101/107 〕 真鶴半島、伊豆半島の眺望
〔 102/107 〕 県道72号線へ出る
〔 103/107 〕 72号線を北上
〔 104/107 〕 「 ← ひょうたん駅 上大井」へ。ひょうたんは大井町のシンボルらしい。
〔 105/107 〕 「記念碑 上大井驛 開設50周年」石碑
〔 106/107 〕 上大井駅、駅舎
〔 107/107 〕 ドアが開かない。「ワンマン電車は先頭ドアから乗って、整理券を取るんです」と男性が教えてくれた。
<
>
【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔
六本松跡
〕 古代千代台地は師長国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、西からの旅人は皆ここに寄って、この道を、目指す阪東や奥羽へと向かったと推定(弓削道鏡等)される。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩などにこの道を通り、いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉街道でもあり、阪東三十三番観音の五番勝福寺から六番長谷寺に詣でる巡礼道でもある。戦国乱世のころ、京の聖護院准后道興は「答えする 人こそなけれ 足曳の 山彦山は嵐吹くなり」を詠み、降って元禄のころ、松尾芭蕉は「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」。門人の白雄は「人の知る 曽我中村や 青嵐」。その後、蕪村も「雨ほろほろ 曽我中村の 田植かな」と詠んだ。この、六本松の地名となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終わっている。
〔
仙元塔(せんげんとう)
〕 ここは、小田原市と大井町に接する標高316メートルの浅間山(せんげんやま)で、ここに立てられている仙元塔は、元治元年(1864年)に建立(こんりゅう)されたものである。塔は、高さ151センチ、巾45センチで四面それぞれ異なった書体で刻まれており、これは当時、玉山(ぎょくざん)という書家が数ヶ月を費やして書いたものを根府川の石工の手によって彫られたものである。当時は、幕末の動乱期に当たり仙元信仰、すなわち富士講がこの地方一帯に、いかに盛んであったかを伺い知ることができる。平成2年3月 中井町教育委員会
正面の文字:「仙元大菩薩」 / 右側の文字:「小御嶽石尊」
石像の台座に「月山 湯殿山 羽黒山」の文字が見られる