【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 湯坂城跡(ゆさかじょうし) ※ 表記の間違い。下記参照。〕 今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を押さえるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防衛の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭(くるわ)や、郭(くるわ)を仕切る土塁(どるい)や堀切(ほりきり)に当時の面影を見ることができる。
※「湯坂城址」になるか、「ゆさかじょうあと」になる
漢字表記を優先させると「ゆさかじょうあと」の振り仮名、振り仮名を優先させると「湯坂城址」の漢字表記になると思われる。湯坂路の名称由来につながる貴重な場所なので、正しく記載したい。
「湯坂路」の読み方についても、箱根湯本側の登山口にある方角案内板は「ハイキングコース登り口(湯坂路)Hiking trail starting point(Yusakamichi-course)」と「ゆさかみち」になっているが、湯坂路コース(湯本〜湯坂路入口)管理ナンバー案内マップは「湯坂路(鎌倉古道)Yusakaji Trail」の「ゆさかじ」になっている。同じ場所に、2つの異なる読み方が存在するのは紛らわしいと思う。
Yusakamichi-course: / Yusakaji Trail:
〔 浅間山(せんげんやま/804m)※ 802mの記述も見られる 〕 昔は下鷹巣山といわれていました。江戸時代富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。
〔 鷹巣城(たかのすじょう)跡 〕 鷹巣城は、秀吉の小田原攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。
〔 畑宿夫婦桜(はたじゅくめおとざくら)(連理(れんり)の桜)〕 向かって右側の桜は2本のヤマザクラが1本となったもので、根元と幹の2ヶ所でつながる「連理」を持つ非常に珍しいものです。ここで言う「連理」とは、木の幹や枝が他の木の幹や枝と連なっているもので、夫婦の深く睦まじい様子にたとえられ大変縁起が良いとされています。
《右側の桜》 連理の桜(夫婦桜)
・周囲 4.2m / ・樹高 約20m / ・樹齢 約100〜150年
《左側の桜》
・周囲 3.1m / ・樹高 約20m / ・樹齢 約100〜150年 箱根町
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