【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 箱根ジオパーク 南足柄エリア 矢倉岳(やぐらだけ) 世界的にも貴重な深成岩体 〕
看板の後ろにそびえる、おむすびの形をした山が矢倉岳(標高 870m)です。矢倉岳はその特徴的な形状から足柄古道におけるランドマークとして果たしてきた歴史があります。地元に昔から住む人たちからは、「たけのこし」と呼ばれ慣れ親しまれています。矢倉岳がある南足柄市周辺は、3つのプレートがひしめく、世界でもまれな場所に位置しています。眼下を見下ろすと、足柄平野から続く大磯丘陵への高まりが広がり、境目は綺麗な一直線になっています。ちょうどそこが国府津松田断層(こうづまつだだんそう)と呼ばれ、フィリピン海プレートと北米プレートの境目になっています。
◆ 矢倉岳ってどんな山?
[東側]の写真(省略)〜 国府津−松田断層 / 足柄平野 − 大磯丘陵 / 明神ヶ岳の山麓( 箱根外輪山 )
[西側]の写真(下記参照)〜 金時山( 箱根外輪山 )/ 矢倉岳(870m)・上ノ山
◆ どのようにできたの?
矢倉岳の山頂付近は、マグマが地下深くでゆっくりと冷え固まってできた「深成岩」と呼ばれる岩石でできています。かつて南足柄は本州と伊豆地塊に挟まれた海の底でした。約115万年前、海底の地層ごと、フィリピン海プレートに乗って南からやってきた伊豆地塊に押され持ち上げられました。その後、周りの海の地層が風化し固い深成岩体が現れ、現在の形になりました。(「矢倉岳の成り立ち」の図、省略)
◆ 矢倉岳ってどんな場所にあるの?
◎ 図1(省略)〜 ユーラシアプレート・北米プレート・[現在地]・フィリピン海プレート
◎ 図2(省略)〜 金時山・明神ヶ岳・矢倉岳・[現在地]/箱根外輪山・真鶴岬・早川港・足柄平野・丹沢山地/ フィリピン海プレート・国府津−松田断層
◆ 何が世界的に貴重なの? 深成岩は、地下深部にてゆっくり固まるため地表に出るまで長い年月を要します。約115万年前という年代は世界的にも極めて新しく、しかも現在の高さ(870m)まで隆起している例は他にはありません! 矢倉岳は、この地域がいかにダイナミックに変動したかを物語ってくれるジオサイトなのです。
■ 他の深成岩体の年代 丹沢山地 … 数百万年 / 筑波山 … 数千万年 〕
※「詳しく調べると深成岩の中でも石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)に分類されるんだって。固いから、石垣に使われているよ!」
※ 連絡先:南足柄市役所 企画課・箱根ジオパーク推進協議会事務局
[西側]の写真
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矢倉岳の深成岩
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〔 白山(はくさん)神社 〕 矢倉沢地区の鎮守神です。総本山は、石川県白山市の「白山(しらやまひめ)神社」で末社は全国に2700以上もあります。北陸三県と岐阜県に誇る白山は、富士山、立山と並び日本三霊山に数えられ、白山信仰(山岳信仰)の聖地として知られます。御祭神は、白山彦命(しらやまひこのみこと)です。
〔 願海(がんかい)和尚の墓 〕 寛永元年(1624年)白山神社の下に、宝珠院という寺が開かれ、白山神社を管理していましたが、無檀無住を理由に明治5年に廃寺となりました。願海和尚は兼任住職として寺を管理していましたが、誠実で祈祷力に優れ、村人から尊敬されていました。地元では古くから阿闍梨(あじゃり/弟子の模範となる深い学識や高い徳を備えた僧侶)さんとして親しまれていました。
〔 蚕神(かいこがみ)の祠(ほこら)(養蚕(ようさん)神社)〕 明治中期から大正、昭和にかけて、神奈川県北西部では養蚕が農家の生業のひとつでしたが、矢倉沢地区にも多くの養蚕農家がありました。初夏には祠の前に村人が集まり、その年に初めてできた繭を蚕神様に捧げて、餌の桑の葉や蚕の良好な生育と豊繭を祈願したと伝わっています。養蚕神社の総本社は茨城県つくば市にあります。
〔 矢倉(やぐら)岳 〕 矢倉岳の山頂付近は、マグマが地下深くでゆっくりと冷え固まって出来た「深成岩」と呼ばれる岩石でできています。かつて南足柄は本州と伊豆地塊にはさまれた海の底でした。約115万年前、海底の地層にマグマが貫入します。マグマは噴火せずにそのまま固まり、海底の地層ごと、フィリピン海プレートに乗って南からやって来た伊豆地塊に押され持ち上げられました。その後、周りの海の地層が風化して深成岩体が現れ、現在の形になりました。令和2年3月 有志一同
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