【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 衣笠神社 〕 一、鎭座地:横須賀市小矢部4丁目1202番地
二、宗教法人:神奈川県指令 2070号 認証 昭和28年10月5日
三、祭神:大 日 霊 貴 尊(オオ ヒ ルメ ムチノ ミコト)
四、氏子区域:小矢部・衣笠栄町・金谷・衣笠
五、由緒:
旧衣笠村の各字には計23社あり、各字の鎭守として崇拝されて来たが、時の政府政令に依る一村一社の方針により、大正2年9月1日、小矢部1丁目城山1020番地鎭座の村社皇大神社に合併し、社殿は明治20年6月に造営された小矢部1丁目1387番地に鎭座する熊野社・山王社を解体、内陣は明治10年造営された衣笠町より遷宮し、現在地に鎭座せられた衣笠神社となった。境内の鳥居・狗犬・燈籠・手洗等はすべて各字の神社より移したものである。昭和20年8月第二次世界大戦終戦後、大矢部・平作・阿部倉・池上は参拝に遠隔不便なため、各町毎に鎭守を分離復活させた。昭和60年3月衣笠神社修復委員会は住民の協力のもとに鳥居の建立・屋根葺き替え・回廊の修理を行った。
〔 市制施行70周年記念 横須賀風物百選 衣笠山公園 〕
山の容姿が、馬の背に鞍を置いた形に似ているところから、正しくは「鞍掛山(くらかけやま)」と呼びますが、現在では、広く「衣笠山」の名称で親しまれています。明治37年2月4日(1904)、日露戦争がおこり、この三浦半島からも多数の人々が徴兵され、戦死しました。明治40年4月18日、それら戦没者の霊を慰めるため、三浦半島の官民有志が、頂上に「芳名不朽」の文字を刻んだ記念塔を建設し、数百株の桜樹と、各種のツツジを植えて公園としました。 それ以後は、この公園は、三浦半島随一の桜の名所となりました。その当時の様子を、ソ連に帰化した女優岡田嘉子の父岡田緑風は、『三浦繁昌記』(明治41年刊)の中で次のように書いています。「…、試みに絶頂に立ち四方の光景を展望すれば、脚下に起伏する群嶺は波をたたんで蜒々(えんえん)相連なり、山尽きて里落(りらく)栄え、陸止まりて碧海遠く開く。…秋は紅葉の四山に錦を織るあり、春は万朶(ばんだ)の桜の白雲紅霞となって漂うあり、…」 名物の桜も戦後の一時期、桜樹の老化と病気により衰えかけたが、衣笠観光協会が補植等に力を尽くした結果、昔の姿をとり戻しました。公園の面積は7.4ヘクタール、桜樹は2000本を数え、その大部分はソメイヨシノです。なお、この公園は、谷一つ隔てた衣笠城址を経て、三浦半島の最高峰大楠山(242メートル)に至るハイキングコースの東側玄関口になっています。
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