【 登山道崩落 】 ※ 画像クリック拡大表示
登山口の注意書き | テープ | 山頂から800m地点 | 斜面の崩落地点 |
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嵐山山頂から0.8km鼠坂(ねんざか)へ下った地点(鼠坂から1.6km地点)の近くで、斜面の崩落あり。相模湖大橋側の登山口で「通行止め」の注意書きを見落としてしまった。嵐山山頂へ登ったあと、山頂の赤い鳥居の横、鼠坂方面へ下る登 山道にピンクの「通行止」のテープがかかっていた。「この先 登山道大崩落 複数 通行止 保全C」と書かれている。崩落場所が通行不可能ならUターンしてもどってくるつもりで、とりあえず下山しはじめた。鼠坂経由で「プレジャーフォレスト前」バス停から「三ヶ木」バス停へ出るつもりだった。しかし、崩落した斜面の状況がひどすぎた。一旦、斜面をおりてから、崩落した斜面を登り返し、対岸の登山道へ出る方法も考えたが、それも非常に危険に思われた。結局、Uターンして嵐山山頂へもどり下山した。登山口で、あらためて注意書きを確認した。「この先 通行止め 台風19号等により大規模な土砂崩れ等が発生し通行不能です。当分の間通行止めとします。お問い合わせ先:神奈川自然環境保全センター/自然保護公園部自然公園課 電話:046-248-2546」と書かれている。「この先」の赤い文字の上に、黒いマジックで「嵐山の先」と手書きの訂正文字が書かれている。確かに嵐山山頂までは全く問題ないので、この訂正文字のほうが正確である。「嵐山の先 通行止め」のように記載すべきかと思われる。
【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 嵐山 あらしやま(標高 405.9m)〕 南は同志山(「道志山」の間違いでは?)、北は小仏山脈の中間にあって、間の山(あいのやま)というのが本当の名であるが「相模湖東岸に迫るなだらかな山容と山肌を色どる美しい落葉広葉樹林が織りなす景観が京都の嵐山に似ている」のでいつのころか嵐山といわれるようになりました。 神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課 (046)248-2546
〔 嵐山宮の由緒 〕 このお宮は「産霊宮水上神社(むすびのみや みなかみじんじゃ)」と申し上げ、相模湖畔第一の景勝地嵐山をトして昭和30年5月3日鎮座創建されました。御祭神は中央に「天之御中主ノ神(あめのみなかぬしのかみ)」(天地造化神)を奉斎し、左に皇祖二二ギノ命(父祖)右に皇后コノハナサクヤヒメノ命(母祖)を祀り、正しい敬神宗祖の道を示したものであります。相模湖の水源は、富士山中湖で、桂川となって流れ、相模川、馬入川となって海にそそぎます。この水をせきとめて発電用のダムをつくり、関東一円を照らすと共に、飲料水、灌漑用水として、東京、横浜、川崎、鎌倉、横須賀、逗子、藤沢、平塚、大磯等、約1千万人のうるほひとなっており、その恵み誠に広大至極と称えられてよいでしょう。そこでこの地に宮をたて湖水の浄化と平安を祈り、永くお祭りすることとなりました。相模の哲人二宮尊徳翁の言に「天地相和して万物生じ夫婦相和して子孫生じ、貧富相和して財宝生ず」の意をもくみ、また「富士仙元の宮」にも因みました。お宮は小さいが本格的な神明造りで、東京下石神井の宮師山下賢三氏の謹作、社前の和合、浮瀬のおしどり像は静岡金谷の彫刻師小林南昭氏の制作であります。またこの地は相模(神奈川県)武蔵(東京都)甲斐(山梨県)の国境で、間(あい)の山ともいい、昔から要塞地帯でありましたから、ここで「世界の平和と人類の幸福」をも祈願いたすことともなりました。毎年5月3日、湖水祭、山上祭を行っております。よろしくご協力のほどを。 東京都世田谷区北沢5−30−3 日の本教壇内 産霊宮水上神社奉賛会 祭主 元木素風
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