【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 正宗屋敷跡と製鉄遺跡 〕 この地は古くから正宗屋敷跡(まさむねやしきあと)と呼ばれ金山堂(かなやまどう)が祀られてきましたが、大正12年に発生した関東大震災による壊滅的な被害を受け大正15年に瑞應寺(ずいおうじ)敷地内の現在地に移転しました。平成16年、この地を試掘したところ多量の鉄滓(てっさい)が出土しました。この鉄滓は放射性炭素年代測定法(加速器質量分析法)により西暦940年〜985年頃(平安時代中期頃)の遺物と分析され、この地で古代製鉄が営まれていたことがわかりました。 平成22年3月吉日 湯河原町鍛冶屋金山講(かなやまこう)・湯河原町教育委員会
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