〔 御岳山(みたけさん)〕 青梅市 2019.10.20
[ 日本山名事典|御岳山日の出山三室山
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〔 1/131 〕 青梅線「御嶽」駅を出て。7:40。 〔 2/131 〕 御嶽駅の駅舎 〔 3/131 〕 「御嶽神社参道」石標 〔 4/131 〕 多摩川。御嶽橋にて。 〔 5/131 〕 コスモスがきれいだ 〔 6/131 〕 お地蔵さんを通過 〔 7/131 〕 「大鳥居」をくぐる 〔 8/131 〕 琴沢橋(ことざわばし)。西東京バス「ことさわばし」バス停を通過。 〔 9/131 〕 「日の出山(ひのでやま) 御岳山」へ。同所にて。日本山名事典「御岳山」・「日の出山」参照。 〔 10/131 〕 「ケーブル下」バス停 〔 11/131 〕 「滝本駅」に到着。8:30。 〔 12/131 〕 ケーブルカーが下りてきた。「KEIO 御岳登山鉄道」というようだ。 〔 13/131 〕 「禊橋(みそぎはし/みそぎばし)」 〔 14/131 〕 滝本駅。後ろを振り返って。 〔 15/131 〕 「滝本の大スギ」。青梅市天然記念物。「解説」参照。 〔 16/131 〕 「参道の杉並木」案内板。「解説」参照。 〔 17/131 〕 参道の両側にかなりの樹齢と思われる、立派なスギの木が見られる 〔 18/131 〕 「ろくろっ首」標柱。くねくねと続く坂道から。「解説」参照。 〔 19/131 〕 「うまたてば」標柱。馬を休ませた場所から。「解説」参照。 〔 20/131 〕 ケーブルカーが登っていった 〔 21/131 〕 「防災ポイント」表示板。現在地の確認に便利。「神社まで2.8km」地点。 〔 22/131 〕 「おおまがり」標柱。勾配が緩やかになり、カーブが大きくなる。「解説」参照。 〔 23/131 〕 「なかみせ」標柱。中腹のこのあたりに昔、茶店があったようだ。「解説」参照。 〔 24/131 〕 ケーブルカーの下を通過する 〔 25/131 〕 「だんごどう」を通過。参拝者が団子を供えるお地蔵様のお堂があったらしい。「解説」参照。 〔 26/131 〕 お地蔵様。同所にて。 〔 27/131 〕 「じゅうやっくぼ」。「十薬窪」。十薬(ドクダミのこと)が自生する窪地から。「解説」参照。 〔 28/131 〕 「だいこくのお」標柱。大黒様のおかげで楽に歩ける、勾配が緩やかな尾根。「解説」参照。 〔 29/131 〕 「あんまがえし」。平坦な地形を御岳神社と思い、参拝して引き返した「あんまさん」から。「解説」参照。 〔 30/131 〕 「やまのかみ」標柱。参道を往来する人々が「山ノ神」に安全を祈願したことから。「解説」参照。 〔 31/131 〕 「くろもん」。山上の宿坊、御師集落(おししゅうらく)出入口にあたり「黒門」があったらしい。「解説」参照。 〔 32/131 〕 ケーブルカー駅からの道と合流する 〔 33/131 〕 案内板確認。「滝本駅 2.8km/JR御岳駅 5.7km」地点。 〔 34/131 〕 方角案内 〔 35/131 〕 「御岳ビジターセンター」を通過。10:00。 〔 36/131 〕 宿坊地域、御師集落(おししゅうらく)に入る。左へ。あやうく坂道をくだるところ。 〔 37/131 〕 方角案内板。同所にて。 〔 38/131 〕 右「大楢峠(おおならとうげ)3.8km/鳩ノ巣駅 7.7km 」の案内板。 〔 39/131 〕 もやが濃くなってくる。細かい雨が降ってきた。 〔 40/131 〕 「御岳山案内図」。「ここより神社まで約15分」。 〔 41/131 〕 右の道、前方に「神代欅(じんだいけやき)」が見えてくる。左の道は「日の出山」方面。 〔 42/131 〕 案内板確認。「日の出山 2.1km」。同所にて。 〔 43/131 〕 「神代欅」。「解説」参照。 〔 44/131 〕 ここからも日の出山へ行けるようだ 〔 45/131 〕 土産物のお店を通過 〔 46/131 〕 御嶽神社の鳥居 〔 47/131 〕 随身門(ずいじんもん) 〔 48/131 〕 左手の随身の像 〔 49/131 〕 右の像 〔 50/131 〕 「中西悟堂歌碑」。「解説」参照。 〔 51/131 〕 「寶物殿」 〔 52/131 〕 畠山重忠公の像。宝物殿にて。 〔 53/131 〕 本殿へ 〔 54/131 〕 本殿。「解説」参照。 〔 55/131 〕 「御岳神社 旧本殿」石標。「解説」参照。 〔 56/131 〕 旧本殿 〔 57/131 〕 「奉祝 天皇陛下御即位記念植樹 お印 梓(あずさ/キササゲ)令和元年5月1日」 〔 58/131 〕 「御岳山山頂 929米」石標。11:00。 〔 59/131 〕 横長で 〔 60/131 〕 「奥宮 遥拝所」 〔 61/131 〕 長尾平へ 〔 62/131 〕 サラシナショウマ(晒菜升麻)。キンポウゲ科。 〔 63/131 〕 シシウド(猪独活)。セリ科。 〔 64/131 〕 「御岳 長尾平園地」に到着 〔 65/131 〕 「七代(ななよ)の滝 桟橋崩落の為 通行禁止」のお知らせ 〔 66/131 〕 方角案内板。前方は「ロックガーデン/大岳山(おおだけさん)」方面。 〔 67/131 〕 「長谷川恒男氏 記念碑」 〔 68/131 〕 長尾茶屋 〔 69/131 〕 長尾平展望台へ。0.3km。 〔 70/131 〕 「ヘリコプター離着陸場」 〔 71/131 〕 展望台。休憩所がある。 〔 72/131 〕 もやと雲に煙る、周辺の山並み。展望台にて。 〔 73/131 〕 随身門から見る景色 〔 74/131 〕 おみやげ物屋さんを通過して、右方向「日の出山」へ向かう 〔 75/131 〕 後ろを振り返って。左の道へ入る。 〔 76/131 〕 「日の出山 2.0km」へ 〔 77/131 〕 鳥居を通過。右方向へおりると「上養沢(かみようざわ)バス停」。 〔 78/131 〕 分岐点。左の階段をのぼる。右は「上養沢バス停 3.8km/金比羅山/三ツ沢」。 〔 79/131 〕 案内板確認。「日の出山 0.8km」へ。同所にて。 〔 80/131 〕 トイレを通過 〔 81/131 〕 「日の出山山頂」へ。トイレ前にて。 〔 82/131 〕 日の出山に到着。12:30。 〔 83/131 〕 休憩所が設置されている 〔 84/131 〕 「日の出山 山頂 標高 902.0m」標柱 〔 85/131 〕 山頂広場 〔 86/131 〕 「秩父多摩甲斐国立公園」案内図 〔 87/131 〕 周辺の山々を展望する 〔 88/131 〕 階段をくだると「上養沢バス停 3.7km/つるつる温泉 3.6km/金毘羅(こんぴら)尾根」 〔 89/131 〕 案内板を確認する 〔 90/131 〕 「三室山(みむろやま)/二俣尾(ふたまたお)駅」へ。日本山名事典「三室山」参照。 〔 91/131 〕 「吉野梅郷(よしのばいごう)」は「梅の公園」のこと 〔 92/131 〕 アザミ(薊)。詳しい品種名があるかもしれない。キク科。 〔 93/131 〕 イカリモンガ(碇紋蛾)。イカリモンガ科。ガの仲間。 〔 94/131 〕 「日の出山まき道」入口を通過 〔 95/131 〕 「御岳山・吉野梅郷ハイキングコース No@」案内板 〔 96/131 〕 斜面の木が伐採された登山道 〔 97/131 〕 遠くの市街地を望む 〔 98/131 〕 カメラの補正値を変更して 〔 99/131 〕 右手、後方の景色 〔 100/131 〕 登山道の様子。「吉野梅郷」へ。 〔 101/131 〕 分岐点。左の階段は「築瀬尾根 経由 柚木町・軍畑(いくさばた)駅」方面。 〔 102/131 〕 案内板確認。「梅野木峠・三室山・吉野梅郷」へ。 〔 103/131 〕 「梅野木峠」へ 〔 104/131 〕 電波塔を通過 〔 105/131 〕 「日の出山」への案内表示 〔 106/131 〕 「消火用水」を通過する 〔 107/131 〕 梅野木峠に到着。1:40。 〔 108/131 〕 「林道 大入線」案内板。つるつる温泉方面。 〔 109/131 〕 「梅野木峠」石標 〔 110/131 〕 ここも見晴らしのいい場所 〔 111/131 〕 真ん中の登山道へ 〔 112/131 〕 右の道は「至 肝要峠・台沢林道方面 → 」 〔 113/131 〕 「林道 梅の木線」表示板 〔 114/131 〕 「吉野梅郷」へ向かう。以上、梅ノ木峠にて。 〔 115/131 〕 右手の視界が開け、周辺の山々を望む 〔 116/131 〕 三室山 山頂への登山口 〔 117/131 〕 「三室山(みむろやま)5分」と書いてある 〔 118/131 〕 三室山 山頂に到着。2:10。 〔 119/131 〕 「三室山(みむろやま)646.7M」が「646.9M」に訂正されている 〔 120/131 〕 木にかかっている表示。「三室山(みむろやま)646.9M」。 〔 121/131 〕 山頂登山口へ戻る。「日向和田(ひなたわだ)駅」へ。手書きで「通矢尾根 → 」と書かれている。 〔 122/131 〕 「琴平神社」に到着。2:40。「解説」参照。 〔 123/131 〕 養蚕が盛んだった地域で、ネズミから繭を守る猫にちなんで、猫の焼き物や招き猫が奉納されている由。 〔 124/131 〕 分岐点。左「梅郷八幡神社/二俣尾駅」方面。 〔 125/131 〕 住宅地へおりる 〔 126/131 〕 鳥居を出て、振り返る 〔 127/131 〕 「1.6km 日向和田駅」へ 〔 128/131 〕 「梅の公園」石標 〔 129/131 〕 「吉野梅郷 観光案内図」 〔 130/131 〕 神代橋(じんだいばし)から多摩川を望む 〔 131/131 〕 日向和田駅に到着。3:50。
【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1 #1-2 〔 市指定 天然記念物 滝本の大スギ 〕 参道の杉並木のうち最大のものである。青梅市にはこのほか、東京都指定天然記念物の杉の大樹が、安楽寺と塩船観音寺にあるが、ここのはそれに次ぐものである。乗物の便のなかったころ、ここまでやっとたどり着いた御岳道者たちが、落ちる滝水をうち眺めつつ一息入れるのは、いつもこの木のところであった。
 和名:スギ科 スギ / 幹の太さ:570センチメートル    昭和43年11月3日 青梅市教育委員会

滝本の大スギ 〕 樹勢は旺盛で、幹回り約6.3メートル、樹高は約43メートルもあり、都内では有数の巨木である。幹や枝が天に向かって伸び、荘厳さを感じさせる。ケーブルカーが開通するまで、徒歩で御嶽神社に向かう参拝者は禊橋(みそぎはし)を渡ったこの場所で休息し、気持ちを新たにしてから、御嶽神社に向かったと伝えられる。

〔 御岳山名木巡り 1番 青梅市天然記念物 杉並木1号大杉
 樹齢:推定 350年 江戸初期 / 樹高:45米 / 目通り:6.1米

#2-1 〔 市天然記念物 参道の杉並木 〕 滝本から山頂まで26丁(3キロメートル余)の参道は、江戸時代初期に整備されたものと伝えられ、両側に並んでそびえ立つ杉の巨木は、御嶽神社に参拝する人々に霊山(れいざん)の荘厳(そうごん)さを感じさせている。年間の雨量が多く多湿で肥沃な奥多摩の地形と地質は、杉の生育に最適であり各地に美林が多いが、このように巨木が群をなしているところは少ない。幹回りが約6メートル、樹齢300年以上と推定されるものもあって、その総数は600本以上を数える。
 植物名:スギ科 スギ        昭和43年11月3日 指定  青梅市教育委員会

#3-1ろくろっ首 〕 「ろくろ」は、細長い首が、左右に曲がっている、若い女性のお化けである。この付近の坂道は急で、左右に蛇行(だこう)している。まるでお化けの「ろくろ」の首のように、曲がりくねっていることから、いつしか付近を「ろくろっ首」と呼ぶようになったと伝えられる。

#4-1うまたてば 〕 ※ 標柱に「御岳山青年団 岳の子」の表示板あり
 「たてば」は、休息所である。参道は坂道が続くため、かつては数か所で、馬や駕籠(かご)を休ませながら、山上へ進んでいた。「ろくろっ首」付近は、特に急な坂道である。上がり終わった「たてば」で、人はもちろんのこと、馬も重い荷物を下ろして一休(ひとやす)みし、元気を取り戻してから、山上へ向かっていた。

#5-1おおまがり 〕 「うまたてば」を過ぎ、この付近までまで来ると、参道は緩やかな勾配となるため、坂道の曲がり具合も、大らかな曲がりとなる。急な坂道を進んでいると、先を歩いている人が「おおまがりに着いたヨ」と言えば、後ろからついて来る人たちは、「楽になれる」と安堵感(あんどかん)を持ったと伝えられる。

#6-1なかみせ 〕 参道入口の禊橋(みそぎばし)と山上にある御師集落との、ほぼ中間の場所である。禊橋から約30分の距離で、付近は緩やかな坂道であることから、一休(ひとやす)みをするには、都合が良い場所であった。かつては、小さな茶店も建っていたため、いつしか付近は「仲見世」と呼ばれるようになった。

#7-1だんごどう 〕 かつて団子堂という御堂があり、地蔵様(八大地蔵)が祀られていたと伝えられる。地蔵様が困らないよう、地蔵様の膝下(ひざもと)には、参拝する人たちが、団子をお供えしたことから、いつしか団子堂を称されるようになったと伝えられる。現在も祠(ほこら)があり、新しい地蔵様が道中の安全を願っている。

#8-1じゅうやっくぼ 〕 「じゅうやく」は漢字で書くと「十薬」「重薬」で、薬草のドクダミの別名である。「くぼ」は窪地である。この谷間は、薬として利用できるドクダミが、たくさん自生している場所であったことから、いつしか「十薬窪(じゅうやっくくぼ)」と呼ばれるようになったと伝えられる。

#9-1だいこくのお 〕 漢字では「大黒の尾」と書く。禊橋(みそぎはし)を渡った場所からここまで、急な坂道が多かった。ここでは尾根を横切り、ここから先は勾配が緩やかな参道となることから、気を楽にして歩けるようになったのは、「大黒様のおかげ」と感謝の意を込め、大黒様の尾根と称されるようになったと伝えられる。

#10-1あんまがえし 〕 「あんま」さんは、現在の整体師(せいたいし)である。かつては視力が弱い人たちの多くが就業していた。視力に恵まれなかったため、ほとんど平坦なこの付近を、御嶽神社の境内と間違え、付近で参拝してから引き返した「あんまさん」がいたとも伝えられる。このことから、いつしか付近が「あんまかえし」と呼ばれるようになったと伝えられる。

#11-1やまのかみ 〕 禊橋(みそぎはし)を渡ったこの参道は、北側から御嶽神社へ向かう参道なので、北御坂(きたみさか)と呼ばれている。山ノ神は、山に宿り、そこに棲むすべての生物を支配する、神霊の総称である。往来する人たちは、山地内での安全を、山の神に祈願する。

#12-1くろもん 〕 江戸時代、それぞれの集落(街)の出入口には、夜間、外部からの訪問者を防ぐため、「黒門」が設けられ、番人が見張っていた。この場所は山上の御師集落(おししゅうらく)の出入口にあたるため、黒門が置かれていたと伝えられる。しかしながら、番人がいたかどうかについては、不明である。

#13-1 〔 御岳山名木巡り 8番 国の天然記念物 神代欅(じんだいけやき)〕
 樹齢:推定 1千年 平安時代 / 樹高:30米 / 目通り:8.2米

#14-1中西悟堂 歌碑
(案内板の解説文 判読難)
 蝕之月 杉の 木の間に かゝりゐて 佛法僧を なくこゑ 遠し     悟堂
#15-1武蔵御嶽神社由緒
 社伝によれば、創建は第十代崇神天皇七年と伝えられ、第十二代景行天皇の御代日本武尊御東征のみぎり、難を白狼の先導によって遁れられたといわれ、古くより関東の霊山として信仰されて参りました。平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)として記されております。山岳信仰の興隆とともに、中世関東の修験の一大中心として、鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、御嶽権現の名で厄除・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えました。天正18年徳川家康公が関東に封ぜられますと、朱印地30石を寄進され、慶長11年大久保石見守長安を普請奉行として社殿を改築、南面だった社殿を東面に改めました。人々の社寺詣が盛んになると共に、世に三御嶽の一つとして、御嶽詣も、武蔵・相模を中心に関東一円に拡がり、講も組織され、現在に及んでおります。明治維新により、御嶽神社の社号となり、更に昭和27年武蔵御嶽神社と改めました。
 (「御祭神」の記載 )・(「御社宝」の国宝、重文、重美、有形・無形文化財などの記載 )・(「祭儀」・「行事」の記載 )

#1-1神山霊土歌碑 〕 
〔 東京都指定 有形文化財(建造物)御嶽神社旧本殿 〕 所在地:青梅市御岳山176/指定:昭和27年11月8日
 御嶽神社の土(山砂)を持ち帰って、それを田畑に撒くと、土の霊力によって虫の害を防ぐことができるという信仰が今でも残っている。この信仰にもとづいて、碑の題を明治政府の参議、外務卿を勤めた副島種臣が書き、幕末から明治時代の国文学者、歌人で本居宣長の曾孫にあたる本居豊穎(とよかい)の長歌および短歌(反歌)を幕末から明治時代の政治家、書家山岡鉄舟が書いたものである。この碑は神社の玉垣内にあるので、立ち入り禁止ですが、社務所に申し出れば見学することができます。  平成3年3月30日 青梅市教育委員会

#1-1琴平神社(元金毘羅大権現) 〕
 祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)・崇徳天皇(すとくてんのう) / 鎮座:不詳
 沿革:梅郷を一望し、常に氏子を見守ることのできる巌山の頂上に鎮座する当社は、古くは「金毘羅大権現」と呼ばれていました。明治以降は、「琴平神社」と呼ぶようになりました。当地は、戦前まで養蚕が盛んで繭の生産が氏子の生活の支えであり、産業の中心でありました。増殖豊産の産土神として崇敬されていた当社には、繭の豊作を祈願する人が多く、繭の当たり年にはお礼に猫の焼き物が奉納されたものでした。(猫は、天敵であるネズミから繭を守ったものと伝えられております。) 現在も、商売繁盛を祈願する人が多く、新しい招き猫や、現代的な招き猫がたくさん奉納されています。  平成25年4月