〔 奥相模湖 〕 相模原市 2018.12.24   ● Cycle  ● 山のページへもどる
【 BGM:『 古き良き日々 』 】 [ 素材: 縮小:

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[ 1/55 ] 道路崩落のため「平丸(ひらまる)」バス停で降りる。三ヶ木(みかげ)バスターミナルから480円。 [ 2/55 ] 工事関係の人が「いやしの湯」経由の迂回路を教えてくれた。「コメント」参照。前方は「中沢トンネル」。 [ 3/55 ] 「いやしの湯」方面へ「近道」の案内板がたっている [ 4/55 ] 「近道 徒歩11分」へ [ 5/55 ] 落ち葉の道を進む [ 6/55 ] 「遊歩道」の案内板。後ろを振り返って。 [ 7/55 ] 開けた場所へ出る。「青根キャンプ場」に到着したようだ。 [ 8/55 ] 眼下の景色。コテージが見える。 [ 9/55 ] 「遙かな友に」(磯部俶/作詞・作曲)の石碑 [ 10/55 ] 左は「緑の休暇村センター」 [ 11/55 ] 「いやしの湯」 [ 12/55 ] 神奈中「いやしの湯」バス停。「青根 緑の休暇村」アーケードをくぐる。 [ 13/55 ] 後ろを振り返って [ 14/55 ] 413号線に合流する。「奥相模湖」バス停を通過。 [ 15/55 ] 「道志ダム」 [ 16/55 ] 近づいて [ 17/55 ] けっこう落差がある [ 18/55 ] 対岸の様子 [ 19/55 ] ダムの上の道路 [ 20/55 ] 道志川 [ 21/55 ] 奥相模湖。マイナス補正「−0.3」。 [ 22/55 ] ズームイン。マイナス補正「−0.3」。 [ 23/55 ] ズームアウト。マイナス補正「−0.7」。 [ 24/55 ] 補正なし [ 25/55 ] 少し先へ進んだ場所から [ 26/55 ] 半円形のベランダにて [ 27/55 ] 「道志ダムへようこそ」案内板。「解説」参照。 [ 28/55 ] 「建設中の道志ダム」 [ 29/55 ] 「奥相模湖・道志ダム周辺図」 [ 30/55 ] 後ろを振り返る。76号線を進む。 [ 31/55 ] 対岸から見るダムの景色 [ 32/55 ] 「陽だまりの郷 長俣」の石碑 [ 33/55 ] 裏側。「解説」参照。 [ 34/55 ] 「ホタルとあじさいの里 綱子(つなご)」標柱を通過 [ 35/55 ] 「綱子入口」バス停。「天神隧道」へ入る。 [ 36/55 ] 「これより五町 尾崎城 城下町」標柱 [ 37/55 ] 「菅井上(すがいかみ)」バス停を通過 [ 38/55 ] 「峯山の紹介」案内板。「解説」参照。 [ 39/55 ] 「菅井隧道」へ入る [ 40/55 ] 分岐点。左の坂をのぼると「峰山入口」へ。 [ 41/55 ] 「庚申塔」などの石柱 [ 42/55 ] 屋根付きの方角案内標識。城下町らしい風情を感じる。 [ 43/55 ] 「東海自然歩道」の案内標識。同所にて。 [ 44/55 ] 「菅井下(すがいしも)」バス停。前方直進は「伏馬田(ふすまだ)入口バス停/石砂山(いしざれやま)」方面。 [ 45/55 ] 左へ折れて、県道76号線を進む [ 46/55 ] 「菅井の里」を歩いている。同所にて。 [ 47/55 ] 「大羽橋(おおばねばし)」をわたる [ 48/55 ] 前方に「小舟(おぶね)」バス停が見える。左へ入ると峰山方面。 [ 49/55 ] 石塔・石柱を通過する [ 50/55 ] 「相模原市立 藤野やまなみ温泉 あと1.3km」の案内板を通過 [ 51/55 ] 右手に広がる里山の景色 [ 52/55 ] 左前方に「やまなみ温泉」バス停が見える [ 53/55 ] やまなみ温泉バス停 [ 54/55 ] 神奈中バスが入ってきた [ 55/55 ] 11:04発 藤野駅行きに乗る。藤野駅まで230円。
コメント 》 「三ヶ木(みかげ)」バスターミナルから「月夜野(つきよの)」行きのバスで「東野(ひがしの)」か、ひとつ手前の「青根公民館前」で降りて、県道76号線を「奥相模湖」方面へ歩く予定だった。県道413号線の「平丸(ひらまる)トンネル」先の道路が台風の影響で崩落したみたいで、バスは「平丸」バス停止まりだった。「全面通行止」の看板が出ていた。工事関係の人に「奥相模湖」への道を尋ねたところ、413号線を迂回する「いやしの湯」経由の道を教えてくれた。神奈中バスのホームページを事前に確認すべきだった。あとで検索したところ、「運行状況」の欄に 2018年11月19日の記事が掲載されていた。「土砂災害の影響により[平丸〜東野間/平丸〜月夜野間]運休。現在、災害現場を迂回して運行できるよう仮橋の設置作業が進められており、2019年3月下旬に暫定開通が予定されていて、同時期の運行再開を予定」しているとのことである。
解説 】  ★ 画像クリック拡大表示

#1-1 道志ダムへようこそ 〕 神奈川県企業庁
★ 道志ダムによってできた、道志調整池は『奥相模湖』と呼ばれ、親しまれています。
道志川 》 道志川は、その源を山中湖に近い山伏峠に発し、峡谷を蛇行しながら津久井湖上流部で合流する延長約42Kmの一級河川です。道志川の水は、明治30年から横浜の水道水として利用され、外国航路に船積みされた水は、「赤道を越えても腐らない」と船乗りの方たちに讃えられました。

道志ダムのおいたち(相模ダムへの水の供給)》 道志ダムは、「相模川河水統制第2次増強事業」により昭和28年12月工事に着工し、昭和30年5月に竣工しました。
◎ 相模川河水統制第2次増強事業
 この事業は、神奈川県の電力及び水道用水の需要増に対応するため、道志川の一部の水を相模湖に流入(流域変更)させ、発電等の水利用の効率化を図る目的で実施された事業です。

道志ダムの発電所
・ 「道志第1発電所」は、道志ダムに貯えた水を利用してピーク発電を行い、利用した水は相模湖へ流域変更しています。
・ 「道志第2発電所」は、ダムから下流への必要水量(責任放流量)を利用して発電しています。
[ 第1発電所・第2発電所の発電所型式などのデータは省略 ]

宮ヶ瀬ダムへの水の供給 》 道志ダムの水は、延長約8kmの道志導水路を通して宮ヶ瀬ダムに送ることができます。これにより宮ヶ瀬ダムの貯留効果を高めるとともに、相模川上流ダム群を一体的に運用することで水資源の有効活用を図っています。

#2-1陽だまりの郷 《 長俣 》 由緒
 「ながまた」の集落名は、小字の『長俣』からその名が付けられ、「川と川に挟まれた地形」という説もあるが、この地名の意味するものは定かではない。辞書によると「俣」は、「一つのものが二つにわかれる所。また。主に地名や姓名に使われる」とあり、「又」は「べつ。ふたたび」の意味とされる。そして現在、一般的には「長又」が使われている。当集落は、江戸時代以前から形作られていたものと推察され、先人たちは長い歳月をかけ舟山の麓を切り開き、或いは道志川沿いに田んぼを造成し、山里での慎ましやかな生活を営んできた。古文書等に当地の名称が見られるのは、江戸時代の中頃からで、元禄12年(1699年)の書上帳には、「長又の戸数9戸」と記されている。更に、正徳5年(1715年)の宗門人別帳には、「集落の戸数8戸、石高20石8斗6升4合」とある。また地区内の墓所には、元禄年間(1688〜1703年)の墓石が最も古いものとして数基現存している。これらのことから、当地の歴史や生活の有様が、ほんの一部ではあるが見てとれる。太平洋戦争終結の年(昭和20年、1945年)の人口調査では、「戸数14戸、男33、女32、計65人が居住」とあり、当地が最も増大した時期と思われる。また、当地が大きく変貌した事象としては、昭和30年の道志ダム・奥相模湖の建設と、昭和36年県道山北藤野線の全線開通にある。これらに心血を注いだ先人に、感謝の意を表したい。近年は生活様式も様変わりし、農林業を専業とする者はなく、会社勤めをしながら根菜類を耕作するに留まっている。また、勤め先や家庭の事情から、他に移り住む者もでて、戸数も人口も減少傾向にある。そこで、当地の更なる奮起、再興と地区住民の結束の証として、この道しるべを建設する。
 ○ 長又自治会の構成(戸数6戸、住人20人):シンヤ(1人) ヒガシ(5人) タキ(5人) ナカ(3人) トナリ(2人) ニシ(4人)
 平成24年 秋日    長又元気起こしの会・長又自治会(相模原市地域活性化交付金助成事業)

#3-1峯山の紹介
 峯山(峰山)は古くから燃料の宝庫として地域住民の生活を支えてきた。木拾い、薪作り、炭焼き、茅刈り等々四季折々の山の幸と共に大変親しまれてきた山である。 当入口から約2.2km先、頂上に建立されている古峯神社は祭神が日本武尊で「火伏(ひぶせ)の神」として崇敬されてきた。例祭は春秋二季行われ、その度に当番地区は清酒四斗樽を神前までかつぎ上げ集まった講中は持参した器にそれを受け酒宴は夜に及んだという。また、博打(ばくち)の座も開かれて、地域の人々にこよなく親しまれた祭典であったと語り継がれている。現在は毎年5月3日の1回となったが、周囲13地区から集まった多くの住民によって祭典行事は今も限りなく続けられている。