伊豆ヶ岳(いずがたけ)〕 飯能市 2026.3.12 [ 日本山名事典:正丸峠小高山伊豆ヶ岳古御岳高畑山中ノ沢ノ頭天目指峠子の権現
【 BGM:Hello Internet( by table_1 )】 素材: 縮小:MP3 Quality Modifier  ● Cycle ● 山のページへ 〔 画像拡大:ImageZoom 〕

★ オート(4000ms) ★ 画像 mouse-on:一時停止 ★ 適宜、右のナビボタンを操作して下さい
コース前半コース後半
[ 1/154 ] 「当駅下車ハイキングコース」案内板。正丸(しょうまる)駅プラットホームにて。 [ 2/154 ] 正丸駅 [ 3/154 ] 「関東ふれあいの道 《 伊豆ヶ岳を越えるみち 》」案内板。「解説」参照。 [ 4/154 ] 方角表示板。「西武鉄道24選」のコースどおりに歩く。「コース前半・コース後半」参照。 [ 5/154 ] 西武線の線路下をくぐり「正丸峠、伊豆ヶ岳 → 」へ向かう [ 6/154 ] 「安産地蔵尊」を通過する [ 7/154 ] 「馬頭尊」に到着。分岐点。 [ 8/154 ] 馬頭尊 [ 9/154 ] 同上 [ 10/154 ] 表示板確認。左は「大蔵山(おおくらやま)コース」。右「正丸峠コース」へ。 [ 11/154 ] 民家の横から登山道へ入る [ 12/154 ] 「お申講(さるこう)」案内板。「解説」参照。 [ 13/154 ] お申講の鳥居と社(やしろ)を通過 [ 14/154 ] 分岐点 [ 15/154 ] 表示板。直進すると「正丸峠 0.7KM」。右「旧正丸峠」方面へ。 [ 16/154 ] 登山道の様子 [ 17/154 ] 前方にガードレールが見えてくる [ 18/154 ] 右手に「正丸峠ガーデンハウス」の中(入口付近)を見ながら進む [ 19/154 ] 前方、舗装路へ出る [ 20/154 ] 舗装路へ出て、案内板を確認。後ろを振り返って。右「正丸峠」へ。 [ 21/154 ] 「奥村茶屋」に到着 [ 22/154 ] 「正丸峠」標柱。「正丸峠」参照。 [ 23/154 ] 昭和天皇の記念碑 [ 24/154 ] 茶屋の裏手が通行止めになっている [ 25/154 ] 表示板確認。「伊豆ヶ岳・正丸駅へは、左に進んでガードレール間の階段をおりる ← 」の表示。 [ 26/154 ] がードレールのあいだから、階段をおりる [ 27/154 ] 茶屋の裏側へ進む [ 28/154 ] 前方、案内板の道へあがる [ 29/154 ] 茶屋の裏側。案内板前にて。 [ 30/154 ] 「正丸峠」標柱。「伊豆ヶ岳 2.0km」へ。同所にて。 [ 31/154 ] 小高山(おだかやま)に到着 [ 32/154 ] 「小高山」標柱。「小高山 720M」表示板。雪がまだ少し残っている。「小高山」参照。 [ 33/154 ] 小高山からの眺望 [ 34/154 ] 長岩峠に到着。分岐点。 [ 35/154 ] 右は「県立名栗げんきプラザ」 [ 36/154 ] 「ここは長岩峠」表示板。左へ。以上、長岩峠にて。 [ 37/154 ] 3分ほど登って「大蔵山」に到着 [ 38/154 ] 丸太階段(左)と巻き道(右)との分岐点 [ 39/154 ] 案内表示を確認。左「丸太階段」をのぼる。 [ 40/154 ] 丸太階段の様子 [ 41/154 ] 五輪山に到着 [ 42/154 ] 「五輪山」標柱 [ 43/154 ] 五輪山をくだる [ 44/154 ] くだり終わると分岐点 [ 45/154 ] 左後ろの道は「危険 × 」 [ 46/154 ] 男坂・女坂の分岐点。「チャートでできた山」の案内板がたっている。「解説」参照。 [ 47/154 ] 男坂は「落石が発生しやすい。女坂をご利用ください」の注意書き [ 48/154 ] 「伊豆ヶ岳(女坂)」を進む。同所にて。 [ 49/154 ] 女坂の様子 [ 50/154 ] 右側が本来の女坂だが「通行止め」 [ 51/154 ] 表示確認。「女坂は崩落のため通行止めです」。 [ 52/154 ] 「伊豆ヶ岳(男坂と女坂の中間にあるみち経由)」へ [ 53/154 ] 山頂手前にロープが設置されている。山頂から後ろを振り返って。 [ 54/154 ] 山頂の様子 [ 55/154 ] 岩場の山頂。後ろを振り返って。 [ 56/154 ] 「伊豆ヶ岳」標柱。「伊豆ヶ岳」参照。「天目指峠(あまめざすとうげ)3.4km」へ。 [ 57/154 ] 「伊豆ヶ岳」案内板。「解説」参照。 [ 58/154 ] 「伊豆ヶ岳 851M」表示板 [ 59/154 ] 「三等三角点」。昼食休憩。 [ 60/154 ] 「851M 伊豆ヶ岳」石標。以上、伊豆ヶ岳にて。 [ 61/154 ] 分岐点。右「山伏峠」。 [ 62/154 ] ロープ設置場所。通行注意。 [ 63/154 ] 分岐点。左「西吾野」。 [ 64/154 ] 表示確認。「天目指峠」へ。 [ 65/154 ] 表示板。同所にて。 [ 66/154 ] 古御岳(こみたけ)に到着 [ 67/154 ] 「古御岳 830M」表示板。「古御岳」参照。 [ 68/154 ] 「古御岳」標柱。「天目指峠 2.8KM」へ。 [ 69/154 ] 登山道の様子 [ 70/154 ] 「天目指峠 1.6KM」地点。キョリ表示に感謝。 [ 71/154 ] 高畑山(たかはたやま)に到着 [ 72/154 ] 「高畑山 695M」表示板。「高畑山」参照。 [ 73/154 ] 登山道の様子 [ 74/154 ] 右側の登山道を通る [ 75/154 ] 左側は「林道につき進入禁止」 [ 76/154 ] 分岐点。右へ。 [ 77/154 ] 表示確認。右「中ノ沢ノ頭(イモグナの頭)」へ。左は巻き道と思われる。 [ 78/154 ] 中ノ沢ノ頭に到着 [ 79/154 ] 「中ノ沢頭 622M」表示板。「中ノ沢ノ頭」参照。 [ 80/154 ] 「三等三角点」。以上、中ノ沢ノ頭にて。 [ 81/154 ] 右はロープが張ってある。進入禁止。左へ。 [ 82/154 ] ここは右の道にロープが張ってない。右へ。 [ 83/154 ] 分岐点。左は「山道」。直進する。 [ 84/154 ] 表示板確認。「天目指峠」へ。 [ 85/154 ] 下に方角表示板がある [ 86/154 ] 下へおりて。「天目指峠の伝説」案内板がある。「解説」参照。 [ 87/154 ] 表示板確認。後ろを振り返って。「子の権現 1.5KM」地点。 [ 88/154 ] 「天目指峠」に到着したようだ [ 89/154 ] 舗装路へおりて。前方が「子の権現」方面。 [ 90/154 ] 表示板。後ろを振り返って。 [ 91/154 ] 「天目指峠」表示板の奥に休憩所がある。「天目指峠」参照。 [ 92/154 ] 「関東ふれあいの道」案内板の「コース案内図」。ポイント地点間のキョリ表示がありがたい。 [ 93/154 ] 「子の権現」へ。「天目指峠」案内板が設置されている。「解説」参照。 [ 94/154 ] 「天目指峠」標柱。「子の権現 1.5km」へ。 [ 95/154 ] 前方、小ピークへ。子の権現までアップダウンが続く。 [ 96/154 ] 「子の権現 0.8KM」地点を通過 [ 97/154 ] 階段みち。子の権現まで5つ6つ、ピークを越えたと思う。 [ 98/154 ] ピーク地点に赤い、小さな社(やしろ)がある [ 99/154 ] 鳥居を通過。表示板がある。 [ 100/154 ] 表示板確認 [ 101/154 ] 開けた場所へおりる [ 102/154 ] 林道へおりて。右が「子の権現」。 [ 103/154 ] ここは見晴らしのいい場所 [ 104/154 ] 「子ノ権現 天龍寺」に到着 [ 105/154 ] 「通路」を進む [ 106/154 ] フクジュソウ(福寿草/キンポウゲ科)と思われる [ 107/154 ] 同上 [ 108/154 ] 前方の坂をのぼり「本堂」へ [ 109/154 ] 本堂 [ 110/154 ] 「木造不動明王立像」案内板。「解説」参照。 [ 111/154 ] わらじの展示。鉄製のようだ。 [ 112/154 ] 「めおと下駄」の展示 [ 113/154 ] 奥に「閻魔堂」がある [ 114/154 ] 閻魔さま [ 115/154 ] 階段をのぼる [ 116/154 ] 「地蔵菩薩」 [ 117/154 ] さらに上へのぼる。鐘楼。 [ 118/154 ] 奥の院「釈迦堂」と思われる [ 119/154 ] 「東京スカイツリー眺望処」 [ 120/154 ] 東京方面の眺望。スカイツリーが確認できなかった。 [ 121/154 ] 「子の権現」標柱。「吾野駅 5.0km」へ下山する。 [ 122/154 ] 「総案内」の建物。後ろを振り返って。 [ 123/154 ] 大きな像を通過。金剛力士像と思われる。後ろを振り返って。 [ 124/154 ] 「足腰守護の神様/子ノ権現 天龍寺/由緒」案内板。「解説」参照。「宗派:天台宗/本山:比叡山 延暦寺」。 [ 125/154 ] 山門を通過。寺額は「大鱗山(だいりんざん)」。後ろを振り返って。 [ 126/154 ] 鳥居を通過 [ 127/154 ] 大木を通過。「二本杉」と思われる。 [ 128/154 ] 「子の権現 640m」標柱。「子の権現」参照。 [ 129/154 ] 「吾野」へ [ 130/154 ] 分岐点 [ 131/154 ] 確認。左「吾野駅 浅見茶屋」へ向かう。右は「 → 破線コース」。 [ 132/154 ] 右は「飯能アルプス」方面と思われる [ 133/154 ] 分岐点。右後ろへ。 [ 134/154 ] 表示板確認。「吾野駅 4.6km」へ。 [ 135/154 ] 民家を通過する [ 136/154 ] 「子ノ権現 天龍寺」石標を通過。後ろを振り返って。 [ 137/154 ] 浅見茶屋に到着 [ 138/154 ] 「浅見茶屋」標柱。「吾野駅 3.2km」へ。 [ 139/154 ] 「吾野駅まで約2Km」地点を通過 [ 140/154 ] 「東郷公園」を通過 [ 141/154 ] 前方は国道299号線。橋の手前を右へ入る。 [ 142/154 ] 表示板確認。「吾野駅 1.3km」へ。後ろを振り返って。 [ 143/154 ] 途中、山みちへ入る [ 144/154 ] 表示板を通過 [ 145/154 ] 線路わきを進む [ 146/154 ] 線路を越える [ 147/154 ] 前方に方角表示板がある [ 148/154 ] 確認。「吾野駅(ふみきりを渡る)」。 [ 149/154 ] 吾野駅のプラットホームを見ながら歩く [ 150/154 ] 「吾野駅 地下道をくぐる」 [ 151/154 ] 地下道 [ 152/154 ] 地下道を出て、右手の階段をあがる [ 153/154 ] 吾野駅に到着 [ 154/154 ] 5:04発の「飯能」行きに乗車
【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

〔 関東ふれあいの道 伊豆ヶ岳を越えるみち 〕 このコ−スは、有馬秩父・奥武蔵の山々を始め、晴れた日には関東平野を一望できる伊豆ヶ岳を中心とした全長約14.5kmの健脚向きの自然歩道です。沿線には、足腰の守り神として有名な子(ね)の権現や西川材で名高い杉櫓(すぎやぐら/櫓杉?)の植林地帯。また天目指峠・高畑山・古御岳・正丸岳といった尾根が続き、奥武蔵の自然を慕うハイカーが多数訪れるところです

お申講(さるこう) 〕 2月の初申(はつさる)に、山の神を祭るのが「お申講」で山の多い飯能には特に多く、今も盛んに行われています。りっぱな社殿をもつもの。小さなほこら、古木、石等対象もさまざま。祭神もさまざまで、大山祇神(おおやまつみのかみ)・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)としるしたものを多く見かけますが、山の神とは、猿田彦だとか、天狗とか、本物の猿とか、いろいろな答えが返ってきます。山の木を守ってくれ、働く人の安全を守ってくれるのが山の神。そう信じて頭を下げれば、しめを張った1本の木でもよいわけです。山仕事で暮らす人の多い地区では、いろいろおもしろい話が聞けます。環境庁・埼玉県

チャートでできた山 〕 伊豆ヶ岳(いずがたけ)はチャートでできている山です。チャートは生物の死がいがたくさんたまって岩石に変わってできたと言われ、秩父帯のなかでもとくに固いため、浸食に対して強くゴツゴツした地形をつくっています。伊豆ヶ岳のほか、県内では両神(りょうかみ)山・城峰(じょうみね)山・武甲(ぶこう)山の南側の浦山渓谷などに、高い山やけわしい地形をつくる所にチャートが多く分布しています。環境省・埼玉県

伊豆ヶ岳 〕 伊豆ヶ岳(いずがたけ)の山名は、突峰状の山容によるアイヌ語の「イズ」から出たものと言われています。地元では、快晴の日、山頂に登ると遠く伊豆まで見えるからという「伊豆ヶ岳説」、柚(ゆず)の木が多くあったからという「柚ヶ岳説」、また昔、麓の湯の沢で温泉が湧き出ており、その前の山だからという「湯津ヶ岳説」等、色々な話が伝えられています。環境庁・埼玉県

天目指峠の伝説 〕 昔、この峠の上には竜神を祀(まつ)る祠(ほこら)がありました。この神様の一族が鰻(うなぎ)であったことから、この付近の沢では絶対に鰻をとってはならないとされていましたが、ある時穴沢(あなざわ)の木樵(きこり)がこの禁を破って鰻をとって食べてしまいました。竜神は大変怒って、大暴風と山崩れを起こして、穴沢部落を押し流してしまいました。穴沢は、峠から上名栗へ下る途中の集落です。環境省・埼玉県

天目指峠 〕 天目指峠の由来は、天目はアマメと読み、これはこの付近の方言で豆柿を意味しています。豆柿というは、山地に自生する親指頭大の熟すと紫色になる柿の一種で、このあたりは柿が非常に豊富であったということです。また「指(さす)」とは、山地で行われる行われる原始的耕作法で、山を焼いてそのあとに種をまく焼畑のことです。環境庁・埼玉県

〔 飯能市指定有形文化財 木造不動明王立像 〕 飯能市大字南461番地/昭和62年4月1日 指定
 この不動明王像は本堂左側壇上に安置されており、像高101.7センチメートルの一木造り(材質は不明)の三尺像である。不動明王像は護摩の香煙によって木理も判然としないほど黒ずんでいる。そのため、一見忿怒(ふんぬ)の面相が厳しく見えるが、素地は穏やかな面貌である。丸顔の面部、面高な頭部、肉付きの良い体躯、分厚い条帛(じょうはく)を左肩にかけて簡素な裳を薄手に彫り出し、右腰をわずかに前に出している。これらのことから、この像は、藤原様を伝えた地方仏師の作と見られ、12世紀を降らない頃の貴重な平安仏である。なお、両腕は肩から別材が用いられ、両脚も膝下から継がれており、後補されている。平成11年3月 飯能市教育委員会

〔 足腰守護の神様 子ノ権現 天龍寺 由緒 〕 当山は、延喜11年(911)に子ノ聖(ねのひじり)が天龍寺を創建されたことに始まります。子ノ聖は、天長9年(832)、子ノ年子ノ月子ノ刻に紀伊の国でお生まれになりました。幼い頃より聡明にして仏教に通じ、僧となっては諸国をまわり修行を積まれました。特に出羽三山において修行をかさね、ある日、月山の頂上に登り、年来読誦する般若心経を取り出し、「南無三世仏母般若妙典(なむ さんぜ ぶつも はんにゃ みょうでん)、願わくば、われ、永く跡を垂(た)るべき地を示し給え」と空高く投げました。すると、そのお経は南へ飛んで、当山の奥の院(経ヶ峰)に降りたち光りを発しました。この光りを目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は、悪鬼どもに襲われ火を放たれました。しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を消してくれました。その後、当山で修行教化に励まれた聖は、長和元年(1012)「我、すでに化縁つきぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生(しゅじょう)を守らん。我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠に力で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能除一切苦(のうじょいっさいく)」という御誓願を遺し、齢百八十一才で化寂されました。それ以後、子ノ聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。尚、「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。