武甲山(ぶこうざん/ぶこうさん 〕 横瀬町 2026.2.22 [ 日本山名事典:武甲山 ]  ● 山のページへもどる
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〔 1/96 〕 西武秩父線「横瀬(よこぜ)」駅を出て 〔 2/96 〕 「日本一歩きたくなる町 よこぜ」案内板 〔 3/96 〕 観光案内所を通過して、線路沿いに歩く 〔 4/96 〕 方角表示板 〔 5/96 〕 右前方、西武線の線路下をくぐる。線路をくぐる場所はもうひとつ先だった。 〔 6/96 〕 線路下を通り抜けて。左へ。 〔 7/96 〕 右へ。線路沿いを歩く。少し遠回りしてしまった。 〔 8/96 〕 三菱マテリアル(株)・菱光石灰工業(株)を通過 〔 9/96 〕 線路沿いの道を進む。前方の景色。 〔 10/96 〕 「ようこそ! 武甲山へ」案内板。奥に見えるハゲ山は「石灰石採掘場」。 〔 11/96 〕 「延命地蔵尊」を通過 〔 12/96 〕 方角表示板 〔 13/96 〕 工場地帯を通り抜ける。左手の橋は「生川橋(うぶかわばし)」。 〔 14/96 〕 道路の様子 〔 15/96 〕 「宇遠橋(うとおばし?)」を通過 〔 16/96 〕 神社の赤い社(やしろ)を通過。「武甲社」と書いてあるようだ。 〔 17/96 〕 「武甲山 登山駐車場」を通過。右下の河原が駐車場になっている。 〔 18/96 〕 「生川基点」に到着 〔 19/96 〕 表示板確認 〔 20/96 〕 「一の鳥居」 〔 21/96 〕 「壹丁目(1丁目)」石標 〔 22/96 〕 「武甲山登山道」案内板 〔 23/96 〕 同上。「表参道コース」を歩く。 〔 24/96 〕 同上。「武甲山山頂絵図」。 〔 25/96 〕 「武甲山 観光トイレ」に寄って、表参道へ入る 〔 26/96 〕 右へ。正面に「登山道(武甲山)→ 」の表示板がある。 〔 27/96 〕 「五丁目 芦ヶ久保村」石標を通過 〔 28/96 〕 右「迂回路」へ。堰堤(えんてい)工事のため。 〔 29/96 〕 「八丁目」石標を通過 〔 30/96 〕 分岐点。左「 ← 持山寺跡(もちやまでらあと) シラジクボ」。直進「↑ 武甲山」へ。 〔 31/96 〕 表示板通過。「大杉の広場(1000m) 約50分/武甲山(1304m) 1時間40分 → 」。 〔 32/96 〕 橋を渡る 〔 33/96 〕 「不動滝」を通過 〔 34/96 〕 お地蔵さん。「十八丁目」石標。以上、不動滝にて。 〔 35/96 〕 橋をわたる 〔 36/96 〕 「武甲山 御嶽神社 参道」石標。「二十丁目」にて。 〔 37/96 〕 祠(ほこら)を通過 〔 38/96 〕 「石積場 石灰石 山頂神社に有ります」 〔 39/96 〕 大杉の広場に到着 〔 40/96 〕 同上 〔 41/96 〕 表示板。現在地「大杉の広場 1000m」。「 ← 武甲山(1295.4m) 約50分」へ。 〔 42/96 〕 「四十丁目」を通過 〔 43/96 〕 倒れてしまった表示板。「武甲山山頂(一般コース)」へ。 〔 44/96 〕 右手の斜面に残雪が見られる 〔 45/96 〕 小さな神社を通過 〔 46/96 〕 「五十一丁目」に到着。右手奥に山頂が見えている。ここは分岐点。 〔 47/96 〕 左「シラジクボ・小持山・大持山 浦山口登山道」。以上、51丁目にて。 〔 48/96 〕 右手にトイレがある。「冬期12月1日〜3月31日は閉鎖」の掲示が見られる。 〔 49/96 〕 「閉鎖中 このトイレは、5月1日から開放します」 〔 50/96 〕 「順路」を進む 〔 51/96 〕 御嶽神社に到着。昼食休憩。 〔 52/96 〕 「武甲山 御嶽神社 御由緒」・「武甲山」案内板。「解説」参照。 〔 53/96 〕 正面へ 〔 54/96 〕 「鐘撞堂(かねつきどう)」。後ろを振り返って。 〔 55/96 〕 「 ← 第1展望所」へ。「秩父市内が良く見える」とのこと。 〔 56/96 〕 第1展望所 〔 57/96 〕 方位表示板 〔 58/96 〕 「武甲山 横瀬町」・「標高 1,304m」標柱。「武甲山」参照。 〔 59/96 〕 右に「1336−41+9 武甲山」と書かれた小さな石柱がある 〔 60/96 〕 同上。測量による標高の変化を表示していると思われる。「武甲山」参照。切り抜き・加工処理画像。 〔 61/96 〕 山頂からの眺望。秩父市内と思われる。以上、武甲山山頂にて。 〔 62/96 〕 51丁目の分岐点にもどる。「シラジクボ」経由で「生川基点(一の鳥居)」へ下山する。 〔 63/96 〕 分岐点。右は「浦山口」方面(橋立ルート)。 〔 64/96 〕 表示板 〔 65/96 〕 右「山頂(1295.4m)→ 御嶽(みたけ)神社・トイレ 約5分」 〔 66/96 〕 左「小持山・大持山登山コース ← シラジクボ(1088m)約25分」 〔 67/96 〕 「武甲山の肩」標柱。左奥は「発破のお知らせ」案内板。 〔 68/96 〕 上「武甲山登山コース略図」。下「発破のお知らせ」。 〔 69/96 〕 「通行止め案内」。「林道橋立線の崩落により橋立ルートは下山できません」。「解説」参照。 〔 70/96 〕 「 ↑ 小持山 シラジクボ」へ。以上、分岐点にて。 〔 71/96 〕 登山道の様子。ジグザクみちをくだる。 〔 72/96 〕 右手斜面の樹林地帯がきれいだ。後ろを振り返って。 〔 73/96 〕 残雪を通過 〔 74/96 〕 シラジクボに到着 〔 75/96 〕 表示板。左下「持山寺跡 約25分」へ。現在地「武甲山 大持山 登山コース シラジクボ 1088m」。 〔 76/96 〕 左「 ← 小持山(1269m)急な登り坂 約50分」。右「武甲山(1295.4m)急な登り坂 約45分 → 」。 〔 77/96 〕 「 ← 生川基点(一の鳥居) 持山寺跡」へ。以上、シラジクボにて。 〔 78/96 〕 「転落注意! この場所 谷側キケン」 〔 79/96 〕 登山道の様子。随所にトラロープが整備されている。 〔 80/96 〕 分岐点。要所要所に方角表示板が設置されている。後ろを振り返って。 〔 81/96 〕 左方向は木を倒して「通行止め」になっている。右へ。以上、分岐点にて。 〔 82/96 〕 分岐点。左は「生川基点(一の鳥居)」。直進して「持山寺跡」へ。 〔 83/96 〕 表示板確認。持山寺跡まで片道、約2分。 〔 84/96 〕 大きな石碑がたっている。後ろを振り返って。同所にて。 〔 85/96 〕 持山寺跡に到着。案内板がある。「解説」参照。 〔 86/96 〕 立派な宝篋印塔(ほうきょういんとう)。「生川基点」へ向かう。 〔 87/96 〕 左後ろからくだってくる林道と合流する 〔 88/96 〕 右下「 → 生川基点(一の鳥居)」へくだる 〔 89/96 〕 前方、往路で歩いた登山道と合流する 〔 90/96 〕 合流地点。後ろを振り返って。 〔 91/96 〕 「八丁目」を通過 〔 92/96 〕 直進して左の道(迂回路)をくだる。同所にて。 〔 93/96 〕 堰堤の様子。後ろを振り返って。 〔 94/96 〕 「生川基点(一の鳥居)」に到着 〔 95/96 〕 武甲社の赤い神社付近で、車の男性から「乗りませんか」と声をかけられ便乗させてもらった。「拾う神」あり。感謝。 〔 96/96 〕 横瀬駅から4:15発、飯能行きの電車に乗り、東飯能駅で八高線に乗り換える
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橋立(はしだて)ルートの通行止めについて
 武甲山へ登ろうと思い「西武鉄道で行くハイキングコース24選」というホームページを検索した。コース地図に「橋立ルート崩落の危険あり、通行止め」と書いてある場所があった。コースを模索するうち、武甲山から浦山口(うらやまぐち)駅へ下山された方のインターネット記事があり「崩落したと思しき場所には迂回路ができていました」との記載があった。「通行止め解除」なのかと思い、横瀬町観光協会「歩楽里(ぶら〜り)よこぜ」へ電話で「問い合わせ」た。
 「現在、橋立ルートの崩落場所は通行できているようですが、秩父市が迂回路の工事をしたわけではありません。どなたか迂回ルートをつくられたのではないかと思われます。現在も『通行止め』のままです。武甲山から『シラジクボ』・『持山寺跡(もちやまでらあと)』をまわって横瀬駅へ出れば、同じ道をUターンするのを避けられるかと思います」との丁寧な回答がかえってきた。
 西武鉄道24選のコースに従ってUターンするつもりで問い合わせたのだが、面白そうなコースを紹介してもらい、今度は「シラジクボ」を検索した。「シラジクボは、北関東から東北地方の方言で『すり鉢』を意味する『しらじ』に由来すると考えられています。地形的には『すり鉢状の窪み』と推測されます」とのこと。どんな登山道なのか興味がわいてきて、「シラジクボ・ルート」を歩くことにした。登山道の右手斜面に植えられた樹木(植林地だろうか)がとてもきれいだった。登山道のせまい場所にはトラロープが随所に整備されているので安心して通行できた。

武甲山御嶽神社(ぶこうざんみたけじんじゃ)御由緒
◇ 武甲山山頂に祀られる社、山麓の根小屋(ねごや)に里宮がある
 当社は、第十二代景行天皇の御代(千九百年の昔)皇子日本武尊がご東征の折、武甲山山頂に武具を埋めて関東の鎮護となされたのを起源とする。その後、安閑天皇の御代に我が国の農業も進み、各所に義倉を置き凶作に備える
ようになり、義倉を置いた国の高山には蔵王権現が勧請された。当社もその一社で、そのため武蔵の国号神社とも呼ばれる。更に欽明天皇の御代に日本武尊・男大迹尊・武金日尊を配祀する。のち朱雀天皇の天慶(てんぎょう)七年(944)に関東地方に大流行した悪疫に対し、時の郡司は医薬の神、少彦名命を当社に配祀して祈願、下って文治五年(1189)源頼朝公は当社に武運を祈願し、その功験あって建久二年(1191)に社領を寄進、また畠山重忠公も当社を厚く信仰して宗近銘の太刀を奉納する。永禄十二年(1569)には甲斐武田の軍勢が乱入して当社を焼いたが、この時北条氏邦公は当社に祈願して武田勢を追い払い、報賽として当社に國光銘の太刀と社領永三貫目の地を寄進し、天正二年(1574)には社殿を再建して大山祇命を配祀する。また大坂夏の陣には徳川家康公が当社に戦勝を祈って正宗銘の太刀を奉納する。以来、多くの人々の厚い信仰を受け、明治四年に村社となる。なお、当山頂のお宮を里でも参拝できるように里宮が設けられ、里宮にはご神殿と神楽殿と社務所がある。当社に伝わる神楽は、文禄五年(1596)秩父の代官、日下部丹波守が初めて神前に奉奏し、装束類を奉納したのに始まるという。里宮 横瀬町横瀬880−2
◇ 御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)/少彦名命(すくなひこなのみこと)/男大迹尊(おおとのみこと)/大山祇命(おおやまづみのみこと)/武金日尊(たけかなひのみこと)
◇ 御祭日 ● 春祭り(4月15日)/● 武甲山山開き(5月1日)/● 秋祭り(10月1日)
「武甲山(ぶこうざん)」 】 武甲山(標高 1304m)は、奥秩父山地より北方へのびる尾根の末端にある独立峰(どくりつほう)で、山体の北半分を二億年前の石灰岩が占めています。この中腹には、石灰岩固有植物で武甲山のみに生育する「チチブイワザクラ」をはじめ、「ブコウマメザクラ」や「ミヤマスカシユリ」などの特異性に富んだ石灰岩植物が自生しています。また、石灰岩の採掘(さいくつ)は、大正時代から始まり、高度経済成長期に増加し、昭和40年頃より急速に山容を変えてきました。昭和56年、関連企業三社による協調採掘が始まり、現在に至っています。現在、武甲山の山頂には、御嶽神社(みたけじんじゃ)が鎮座(ちんざ)していますが、古くは平安・鎌倉時代まで遡る(さかのぼる)痕跡(こんせき)が見いだされ、戦国時代になると、蔵王・熊野の両権現をはじめとした社殿や寺院等が建立(こんりゅう)され、江戸時代には山頂での祭祀(さいし)が一層盛んになりました。武甲山を祀(まつ)る民俗行事には、秩父夜祭、御嶽神社里宮の神楽(かぐら)、御田植神事(おたうえしんじ)、雨乞(あまご)い行事など、秩父地方一帯に広くみられます。なお、武甲山の山開きは、毎年5月1日に行われています。

持山(もちやま)寺跡(町指定史跡)】 持山寺跡は「阿弥陀山念仏寺」の廃寺と伝えられ、武甲山から続く小持山の山腹、標高約900mのところにあります。周辺には竹林、滝、池跡、入定(にゅうじょう)場、宝篋印塔(ほうきょういんとう/供養塔)などが現存しています。この持山寺には長七郎伝説が残されています。松平長七郎は、駿河大納言 徳川忠長(徳川三代将軍家光の弟)の子で、忠長は寛永10年(1633)に切腹させられています。この時、家臣に長七郎長ョの行く末(ゆくすえ)をたのんで死んだということです。秩父に伝わる口伝では、秩父を点々と歩き、終の住処(ついのすみか)としたのがこの持山で、ここで小庵を営み、祖圓(そえん)和尚を名乗り、最後には大鎌を首にまいて念仏往生をとげたといいます。下男に「この念仏が聞こえなくなったら、この紐を力一杯引いてくれ」と言い残し、石室に入り念仏を三日三晩唱え続けたといいます。四日目、恐ろしくなった下男は紐を引いてしまいました。念仏がハタとやみ、同時に羽の白い小鳥が「カキット、カキット」と鳴きながら飛びだして行ったそうです。
 横瀬町・横瀬町観光協会