【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 五常の滝 〕 この滝の名称である五常とは、仁義礼智信という五つの徳目を表しています。紀元前四百年頃に、中国の儒学者である孔子によって、「仁」こそが、人が身につけるべき最高の徳であると唱えたのが始まりと言われています。この孔子の教えを受け継いだ孟子が、「仁」に「義」「礼」「智」を加えて、その思想をさらに発展させ、後に前漢の時代の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)が「信」を加えて、五常の教えとして完成させました。この五常の教えは、中国から朝鮮半島、そして日本へと伝わり、人が身につけるべき大事な徳目として、重んじられるようになりました。この五常の滝は、落差約十二メートルあり、南北朝時代には、高麗一族の武者がこの滝で身を清め、必勝を祈願して戦場に向かったという伝説が残っています。2017年(平成29年)7月1日 一般財団法人 五常の滝
〔 毛呂山町指定民俗文化財 有形民俗文化財 北向地蔵尊(きたむきじぞうそん) 平成27年3月19日 指定 〕 有名な「鬼押出(おにおしだ)し」(群馬県)ができた天明(てんめい)3年(1783)の浅間山大噴火は、その後、何年もの間、東北地方を中心に飢饉や疫病をもたらしました。そこで、村人たちは、悪疫(あくえき)の流行を防ぐため、天明6年(1786)に岩船地蔵尊(栃木県栃木市)より分身を譲り受け、岩船地蔵尊と向かい合うように建て、村の守護神としました。北の方を向いて立っていることから「北向地蔵」の名で呼ばれ、現在では男女の逢瀬をとり持つ縁起地蔵として、人々に親しまれています。基礎正面には、奉納した村人の名とともに<右 白子(しらこ)ヨリ 子ノ権現道(ねのごんげんみち)>、<左 横手(よこて)ヨリ 大山道(おおやまみち)>と道案内が刻まれています。北向地蔵尊は、村人を見守るとともに、信仰の道を往来する人々の安全を祈る道標(みちしるべ)でもありました。 平成30年1月 毛呂山町教育委員会
〔 日和田山からエベレストまで 登山家 田部井 淳子さん 2016年10月20日 永眠 〕 1975年、世界で女性初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんは、その後海外の最高峰を次々と登攀(とうはん)、私たちに感動と勇気をくださいました。その偉業の基礎となったのが、若き日夫の政伸さんと通った日和田山での登山訓練でした。また晩年にはリハビリのために何度も訪れ、登れた喜び、生きている喜びをかみしめていたそうです。最後まで日和田山と高麗の郷を愛した淳子さんの生き方に感謝し記念プレートを設置します。2019年10月20日 日和田山からエベレストへの道 有志の会
〔 水天の碑(すいてんのひ) 所在地 日高市大字台 〕 水天の碑は、天保年代(1830〜1844)に繰り返された干魃(かんばつ)、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村の人々が建立したものである。この碑は、高麗(こま)川を利用した西川材運送のための筏(いかだ)流しとも深い関連がある。筏流しは江戸時代初期から始まったと伝えられている。天明(てんめい)年代(1781〜1789)には更に災いが度重なり、記録によると、この地方を飢饉が襲うなど、災難が続いて起こったので、この水天の碑の建立の際には五日五夜の大念仏の行事が催されたと伝えられている。このようにして建てられた水天の碑も、明治になって、車馬の発達と共に筏流しが衰退したこともあって、今では忘れられた存在となっている。昭和57年3月 日高市
〔 台の高札場(こうさつば) 日高市指定文化財 史跡 / 昭和57年12月8日 指定 〕 江戸時代、幕府は定めた法度(はっと)や覚書(おぼえがき)などを書き記した板札(いたふだ)を、村の中心や主要な街道が交錯(こうさく)する交差点といった人通りが多く、目に触れやすい場所に掲示していました。人々を見下ろすように高く掲げられた板札の掲示施設を高札場といいます。この高札には「キリスト教は禁止されているが、信仰する者を届け出た者には褒美をあげよう。しかし、隠したりした場合は、名主、五人組にも罰を与える」と切支丹禁制に関わる内容が記されています。この高札場は、昭和60年に復元されたものです。令和3年12月 日高市
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