物見山(ものみやま)〕 日高市・毛呂山町 2026.1.15  [ 日本山名事典:物見山高指山日和田山 ]  ● Cycle  ●Fancybox
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〔 1/88 〕 西武線「武蔵横手」駅を出て。前方が西武秩父駅方面。右手に国道299号線が通っている。 〔 2/88 〕 横断歩道をわたる。国道沿いに方角表示板が設置されている。「北向地蔵」へ。 〔 3/88 〕 高麗(こま)駅の方へ少しもどると、標識がたっている 〔 4/88 〕 標識を確認。「五常の滝」へ。舗装路の坂道をのぼる。 〔 5/88 〕 右手奥に祠(ほこら)が見える 〔 6/88 〕 「五常の滝」入口に到着。「解説」参照。 〔 7/88 〕 「受付」。高校生以上:200円/小・中学生:100円。 〔 8/88 〕 分岐点。左へ進む。右は「鎌北湖」方面。 〔 9/88 〕 標識確認。「 ↓ 北向地蔵/土山」へ。 〔 10/88 〕 登山道がわかりにくい場所。右へ進む。 〔 11/88 〕 正面左下に、白い小さな表示板がある 〔 12/88 〕 表示板確認。「 ← 左、土山、ユガテ、北向き地蔵」へ。 〔 13/88 〕 登山道の様子 〔 14/88 〕 前方に白いガードレールが見える 〔 15/88 〕 ガードレールの舗装路へ出る。左「北向地蔵」へ。 〔 16/88 〕 すぐ先にも表示板がある 〔 17/88 〕 表示板確認。同所にて。 〔 18/88 〕 左上、墓地の奥にお堂がある 〔 19/88 〕 お堂を確認。権現堂だろうか。登山道へもどる。 〔 20/88 〕 分岐点。左手奥に表示板が見える。 〔 21/88 〕 表示板確認。「北向地蔵(10分) → 」へ。 〔 22/88 〕 石の上の表示板を確認。「北向地蔵 10分」へ。以上、分岐点にて。 〔 23/88 〕 北向地蔵尊に到着 〔 24/88 〕 左に「北向地蔵」の標柱、右に案内板が設置されている。「解説」参照。 〔 25/88 〕 お地蔵さんの様子 〔 26/88 〕 下に「物見山(ものみやま)」への舗装路がのびている 〔 27/88 〕 「 ↑ 物見山」へ向かう 〔 28/88 〕 登山道がわかりにくい場所。右下へくだる。 〔 29/88 〕 標識がたっている 〔 30/88 〕 標識を確認。「 ↑ 物見山」へ。前方の細い道へ入る。 〔 31/88 〕 切り通しのような道を通り抜ける 〔 32/88 〕 登山道の様子。「粒状 塩化カルシウム」が積まれている。凍結防止用と思われる。 〔 33/88 〕 方角表示板を通過 〔 34/88 〕 表示板確認。「物見山/日和田山」へ。「ひわださん」の読み方(日高市観光協会のHP参照)。 〔 35/88 〕 標識通過 〔 36/88 〕 表示板通過。ヤセオネ峠に到着。 〔 37/88 〕 表示板確認。「物見山/高指山(たかさしやま)」へ。 〔 38/88 〕 アップで撮影。「旧名 谷津曽根峠」というようだ。手書きで「ヤセオネ峠」の表記もある。 〔 39/88 〕 分岐点。左「 ↑ 物見山山頂」へ。 〔 40/88 〕 物見山に到着 〔 41/88 〕 「物見山 375m」標柱。「物見山」参照。 〔 42/88 〕 「 → 高指山」へ移動する 〔 43/88 〕 鉄塔を通過 〔 44/88 〕 標識通過。「 ← 日和田山・巾着田(きんちゃくだ)」へ。 〔 45/88 〕 左手奥に神社が見える 〔 46/88 〕 開けた場所へ出る 〔 47/88 〕 白いポールに「駒高陸橋」の文字板が見える。現在地は「駒高」という場所のようだ。 〔 48/88 〕 標識確認。同所にて。 〔 49/88 〕 トイレ前からの眺望。ズームイン。 〔 50/88 〕 ソシンロウバイ(素心蝋梅)。ロウバイ科。 〔 51/88 〕 同上。以上、トイレ前にて。 〔 52/88 〕 表示板通過。「高指山山頂」へ。 〔 53/88 〕 階段をのぼって山頂へ。白い建物は「NTT 無線中継所(閉鎖)」と思われる。 〔 54/88 〕 高指山に到着 〔 55/88 〕 「ふるさとの森 高指山 山頂 332m」標柱。「高指山」参照。 〔 56/88 〕 山頂からの眺望。ズームイン。 〔 57/88 〕 「 ↑ 日和田山」の標識通過 〔 58/88 〕 前方の山が日和田山と思われる 〔 59/88 〕 案内板確認。「 → ふるさとの森 日和田山」へ。 〔 60/88 〕 分岐点。左「 ← 日和田山山頂」へ。右「 → 巾着田・高麗駅」。 〔 61/88 〕 日和田山に到着。立派な宝篋印塔(ほうきょういんとう)がたっている。 〔 62/88 〕 「日和田山 302M」標柱。「日和田山」参照。 〔 63/88 〕 山頂からの眺め。ズームイン。 〔 64/88 〕 山頂広場の様子 〔 65/88 〕 「四等三角点」 〔 66/88 〕 左「日守会」の石柱。右「日高市ふるさとの森」の白い標柱。以上、日和田山山頂にて。 〔 67/88 〕 開けた場所へ出る 〔 68/88 〕 後ろを振り返って。左「 ← 高指山方面」。右「日和田山山頂」。 〔 69/88 〕 登山道の様子。高麗駅へ下山する。 〔 70/88 〕 金刀比羅神社を通過。後ろを振り返って。 〔 71/88 〕 方角表示板を通過 〔 72/88 〕 鳥居の背後に市街地を望む 〔 73/88 〕 「日和田山・金刀比羅神社前からの眺望」案内板 〔 74/88 〕 巾着田の様子。ズームイン。同所にて。 〔 75/88 〕 「女坂(一の鳥居)0.5km」へ 〔 76/88 〕 女坂の様子 〔 77/88 〕 「一の鳥居」に到着したようだ 〔 78/88 〕 後ろを振り返って。左「男坂」、右「女坂」の合流地点(分岐点)。同所にて。 〔 79/88 〕 登山道をくだる 〔 80/88 〕 広場に到着。右手奥にトイレがある。 〔 81/88 〕 「日和田山 登山道 案内図」。同所にて。 〔 82/88 〕 「日和田山登山口」標柱 〔 83/88 〕 「日和田山(ひわださん)登山口 → 」表示板を通過 〔 84/88 〕 「日和田山からエベレストまで」。登山家 田部井淳子さんの石碑。「解説」参照。 〔 85/88 〕 「 ↑ 高麗駅」へ向かう。鹿台橋(ろくだいばし)交差点にて。 〔 86/88 〕 「水天(すいてん)の碑」を通過。「解説」参照。 〔 87/88 〕 「台の高札場(こうさつば)」を通過。「解説」参照。 〔 88/88 〕 高麗駅に到着。12:23発の電車に乗る。東飯能駅で八高線に乗り換え。
【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1五常の滝 〕 この滝の名称である五常とは、仁義礼智信という五つの徳目を表しています。紀元前四百年頃に、中国の儒学者である孔子によって、「仁」こそが、人が身につけるべき最高の徳であると唱えたのが始まりと言われています。この孔子の教えを受け継いだ孟子が、「仁」に「義」「礼」「智」を加えて、その思想をさらに発展させ、後に前漢の時代の儒学者である董仲舒(とうちゅうじょ)が「信」を加えて、五常の教えとして完成させました。この五常の教えは、中国から朝鮮半島、そして日本へと伝わり、人が身につけるべき大事な徳目として、重んじられるようになりました。この五常の滝は、落差約十二メートルあり、南北朝時代には、高麗一族の武者がこの滝で身を清め、必勝を祈願して戦場に向かったという伝説が残っています。2017年(平成29年)7月1日 一般財団法人 五常の滝

#2-1〔 毛呂山町指定民俗文化財 有形民俗文化財 北向地蔵尊(きたむきじぞうそん) 平成27年3月19日 指定 〕 有名な「鬼押出(おにおしだ)し」(群馬県)ができた天明(てんめい)3年(1783)の浅間山大噴火は、その後、何年もの間、東北地方を中心に飢饉や疫病をもたらしました。そこで、村人たちは、悪疫(あくえき)の流行を防ぐため、天明6年(1786)に岩船地蔵尊(栃木県栃木市)より分身を譲り受け、岩船地蔵尊と向かい合うように建て、村の守護神としました。北の方を向いて立っていることから「北向地蔵」の名で呼ばれ、現在では男女の逢瀬をとり持つ縁起地蔵として、人々に親しまれています。基礎正面には、奉納した村人の名とともに<右 白子(しらこ)ヨリ 子ノ権現道(ねのごんげんみち)>、<左 横手(よこて)ヨリ 大山道(おおやまみち)>と道案内が刻まれています。北向地蔵尊は、村人を見守るとともに、信仰の道を往来する人々の安全を祈る道標(みちしるべ)でもありました。 平成30年1月 毛呂山町教育委員会

#3-1〔 日和田山からエベレストまで 登山家 田部井 淳子さん 2016年10月20日 永眠 〕 1975年、世界で女性初のエベレスト登頂を果たした田部井淳子さんは、その後海外の最高峰を次々と登攀(とうはん)、私たちに感動と勇気をくださいました。その偉業の基礎となったのが、若き日夫の政伸さんと通った日和田山での登山訓練でした。また晩年にはリハビリのために何度も訪れ、登れた喜び、生きている喜びをかみしめていたそうです。最後まで日和田山と高麗の郷を愛した淳子さんの生き方に感謝し記念プレートを設置します。2019年10月20日 日和田山からエベレストへの道 有志の会

#4-1水天の碑(すいてんのひ) 所在地 日高市大字台 〕 水天の碑は、天保年代(1830〜1844)に繰り返された干魃(かんばつ)、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村の人々が建立したものである。この碑は、高麗(こま)川を利用した西川材運送のための筏(いかだ)流しとも深い関連がある。筏流しは江戸時代初期から始まったと伝えられている。天明(てんめい)年代(1781〜1789)には更に災いが度重なり、記録によると、この地方を飢饉が襲うなど、災難が続いて起こったので、この水天の碑の建立の際には五日五夜の大念仏の行事が催されたと伝えられている。このようにして建てられた水天の碑も、明治になって、車馬の発達と共に筏流しが衰退したこともあって、今では忘れられた存在となっている。昭和57年3月 日高市

#5-1台の高札場(こうさつば) 日高市指定文化財 史跡 / 昭和57年12月8日 指定 〕 江戸時代、幕府は定めた法度(はっと)や覚書(おぼえがき)などを書き記した板札(いたふだ)を、村の中心や主要な街道が交錯(こうさく)する交差点といった人通りが多く、目に触れやすい場所に掲示していました。人々を見下ろすように高く掲げられた板札の掲示施設を高札場といいます。この高札には「キリスト教は禁止されているが、信仰する者を届け出た者には褒美をあげよう。しかし、隠したりした場合は、名主、五人組にも罰を与える」と切支丹禁制に関わる内容が記されています。この高札場は、昭和60年に復元されたものです。令和3年12月 日高市