【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 ブナ林 〕 東京都で、まとまって残っているブナ林は、ここ三頭山と日原川流域だけで、大変貴重なものです。ふつう、ブナの林床にはササ類が密生していますが、ここは大変少なく、学術的にも注目されています。
〔 奥多摩情話「つね泣き峠」の由来 〕 奥多摩湖畔の川野に杉田入道平広重という城主が居り、ここの召使い「おつね」と程近い浄光院の僧「香蘭」とは、いつしか相愛の仲となった。ところが香蘭は山を越えた西原村の山寺「宝珠院」に移籍となり二人は別離の仲となった。おつねはある夜こっそり館を抜け出て恋人香蘭のもとを訪ねようと一人多摩川を渡り、はし沢の谷道を登り瀧坂付近にさしかかった時である。行く手にランランと両の目を輝かせてカツと大きな口をあけた「おいぬ様」が道の真ん中で苦しんでいた。突然のことにおつねは進むことも退くこともできず身の毛もよだつ恐ろしさに思わず立ちすくんだが何を思ったかこわごわながらも立ち寄っていった。見ればお犬の口の中にどうしたことか獲物の骨がささっていた。おつねが「おいぬ様、私にかみつかなければとってあげよう」というと、おいぬは素直に頭を下げた。おつねは不安ながらその骨を取り除いてやると、おいぬ様はうれしげに尾をふって感謝の意を表した。以来、おつねの夜道の送り迎えを務めたという。さて、おつねは峠を越えて久々に香蘭に合い一夜の夢を楽しんだが、雇われの身の悲しさ、つきぬ名残を惜しみつつ再び闇の山路を帰るのだった。やがて館の見える峠にさしかかるころには東の空が白んで明けの鐘が遠く山々に流れていた。よよと泣きくずれるおつね、帰れば主人に叱られるはかない運命に道の端に立つお地蔵様にそっと手を合わせて切ない心にひたすら神の救いを祈るのだった。春がすぎ夏を送り冬の峠道を通うおつねの姿は痛ましく又あわれであった。後世、里人はこの峠を「つね泣き峠」と呼び、おつねの冥福を祈る碑が建った。今なお「香蘭、香蘭」とおつねの呼ぶ声が聞こえてくるという。 上野原町 上野原町観光協会
〔 ヒヨクヒバ(西原の宝珠寺) 〕 昭和63年3月 上野原町教育委員会
一、上野原町指定天然記念物 / 一、指定:昭和49年12月10日
一、所在地:上野原町西原4316番地 / 一、学名:ヒノキ科ヒノキ属サワラの変種 別名イトヒバ
一、指定理由:樹高:21m/目通り:2.9m/根回り:5.75m
山梨県下で屈指の巨樹であるが、根回りの太さと露出の美しい根張り、及び樹高は県下一番である。樹齢は推定約200年
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