〔 岩殿山(いわどのさん)〕 大月市 2023.11.20 [ 日本山名事典: 〕 ● Background-Image-Slideshow ● 山のページへもどる
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【 解説 】    画像クリック拡大表示

#1-1〔 大月桃太郎伝説めぐり D 鬼の岩屋(おにのいわや)〕 ここは、かつて栄えた修験道場・円通寺の新宮として十一面観音を祀った懸け造りの堂宇がありました。数ヶ所ある岩殿山の洞窟のうち一番大きいこの「新宮洞窟」は、岩殿山の鬼が棲み家にしていたと言い伝えられています。

[ 大月桃太郎伝説めぐり ]
@ 百蔵橋(下和田) A 鬼の杖(岩殿) B 鬼の盃(岩殿) C 鬼の皿(畑倉) D 鬼の岩屋(畑倉) E 鬼の立石(笹子)

#2-1〔 本丸跡 〕 三箇所にある物見台を総合した本陣で防衛や進攻の指令を発した。

#3-1〔 倉屋敷跡 〕 武器や弾薬、食糧、燃料のほか生活用品などの保管がされた。

#4-1〔 馬場跡 〕 本城内で一番広い面積を有し、馬や兵士の訓練場とされ、非常にそなえた。

#5-1〔 岩殿城 〕 岩殿城は、急峻にしてけわしい断崖をめぐらし、攻めにくく守りやすい戦国時代の難攻不落を誇る名城であった。そのうえ南方の桂川下流には相模、武蔵。西方の桂川上流には谷村、吉田、駿河。北方の葛野川上流には秩父などの山なみを一望におさめ、かつ烽火台(のろしだい)網の拠点として、近くの国々の情報を即座に収集できる重要な場所に築かれている。現在この城跡には一番高く展望のきくところに本丸、その下に二の丸、三の丸、さらに蔵屋敷、兵舎、番所、物見台、馬屋、揚城戸(あげきど)などの建物跡のほか空湟(からぼり)、井水、帯郭(おびくるわ)、烽火台、馬場跡がある。また、断崖の下にある七社権現、新宮などの大洞窟が兵舎や出丸として用いられ、兜岩から稚児落としへのルートは落城の道とされている。これら多数の遺構は戦国時代の城郭史を研究するうえで貴重なものである。

#6-1《 西の物見台/修験者の修行場 》 この頂部西端には礫岩(れきがん)の大露頭がみられた。史実として記録はないが、岩殿城の西の物見台とも、あるいは円通寺で研修する修験者の修行場ともいわれた岩であった。しかし、長い年月の間に風化・浸食が進み、崩落の危険性が増大したため、頂部から高さ約 8メートル下方まで(約 300立方メートル)破砕撤去工事を施行し、平成11年3月完了した。[ 山梨県教育委員会・大月市教育委員会 ]

#7-1〔 番所跡 〕 雨、露をさけるための建物があり、揚城戸の番兵の詰所であった。

#8-1〔 揚城戸跡(あげきどあと)〕 第二の関門とよばれ、巨大な自然石を利用して城門をきずいていた。

#9-1〔 築坂 〕 大手口に備えられた空湟(からぼり)で岩殿城の入口にあたる。