〔 九鬼山3 〜 登山道の間違え 〕 都留市 2023.10.19    ■ Blossom[jQueryScript.net] ■ 山のページへもどる
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#1-1〔 大月市指定文化財 第32号(建造物)大倉山 諏訪神社 本殿 〕   [ 平成12年3月 大月市教育委員会 ]
 指定年月日:昭和56年8月8日 / 所在地:大月市猿橋町朝日小沢595 / 管理者:朝日小沢区
 創建は明らかではないが、古記録によると、朝日小沢は当初朝日村(現都留市朝日)に属しており、神社は小沢村の諏訪原という場所に建てられていた。寛文9年(1669)の検地以後、朝日村から分村し、朝日小沢村として独立するとともに、この場所に遷座したと伝えられている。その後、寛政元年(1789)から文政7年(1824)にかけて、村民の総力を挙げての修復事業が行われた。本殿は桁行(けたゆき)・梁間(はりま)とも柱間(はしらま)が一つ(一間)、屋根が切妻で、照屋根の平側に入り口があり、入り口側の庇(ひさし)が長くのびて向拝(こうはい)となる構造(一間社流造(ながれづく)り)で造られている。向拝の上は曲線的に盛り上がる形の「唐破風(からはふう)」となり、社殿の四囲の壁に施された彫刻も見事である。

(注)照屋根:建築用語。読み方「てりやね」。下向きにへこんだ曲面屋根。社寺・宮殿建築に見られる。《 建築用語.net より 》
#1-2恩賜林 〕 本県は、地形が急峻なことから、明治時代の大水害のため、県民の生活が大変苦しいものとなりました。明治天皇は、この惨状をお聞きになり心を痛め、明治44年3月11日、県下の皇室所有の山林を県土の復興に役立てるよう御下賜されました。。これが恩賜林です。恩賜林は、木材の生産はもとより、地球温暖化防止など、さまざまな恩恵に寄与しています。この恩賜林を一層健全な姿にして、次の世代の子供達に引き継ぐため、大切にしてください。
〔 深桂恩賜県有財産保護組合/(公社)山梨県恩賜林保護組合連合会 〕

【 コメント( 登山道を間違えたようだ )】 #2-1 #2-2 #2-3  最初、九鬼山へ「札金沢コース」を登ったとき(2023.8.25)、途中「朝日小沢(40分)諏訪神社方面」という分岐点を通過した(左の写真2枚)。この
分岐点から「朝日小沢」バス停へ下山して猿橋駅へ出るルートを考えたが、バスの時刻に合わせて下山するのは難しいと思い、逆に、朝日小沢バス停を起点に、諏訪神社へお参りしてから九鬼山へ登ってみた(2023.10.19)。登山道は、渓流沿いの登山道から、渓流を離れて山の斜面を登るルートになった。ピンクのテープが巻かれた倒木を越えたところで左手を見ると「直登」の登山道がのびているように見えた。「直登の登山道」と思って斜面を登っていくと、土砂流出防止と思われる丸太と木杭で整備されたジグザグ道になった。あとになって考えると、これは正規の「登山道」ではなく「林業用経路」だったのかもしれない。途中でジグザク道がなくなり、登山道と思ってたどってきた道が途絶えてしまった。丸太も杭もしっかりしたものだったので、疑う余地もなく「登山道」と確信して登ってきた。「直登」の登山道地点で、道を間違えた可能性もある。登山道は途絶えてしまったが、頭上に稜線が見えていたので、登りやすそうな斜面を選んで、石や木の根元、樹木を足場にしながら道なき道をのぼって稜線へ出た(右の写真)。この稜線(尾根道)は「札金沢コース」の登山道で、「朝日小沢(40分)諏訪神社方面」の分岐点より少し標高の高い場所である。札金沢コースは前に登っているので、このコースに出られてよかったと思う。