〔 倉岳山(くらたけやま)〕 大月市 2023.5.3  ■ Skitter  ■ 山のページへもどる
[ 日本山名事典:

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  • 〔 1/107 〕 中央本線「梁川」駅を出て

  • 〔 2/107 〕 梁川大橋をわたる。「倉岳山・高畑山 入口」の標柱がある。

  • 〔 3/107 〕 「倉岳山周辺案内図」を通過

  • 〔 4/107 〕 「トタン沢橋」をわたる

  • 〔 5/107 〕 「月尾根自然の森」入口を通過

  • 〔 6/107 〕 右手の道をのぼる

  • 〔 7/107 〕 方角表示板を確認。「倉岳山」へ。

  • 〔 8/107 〕 「登山者カウンター」。登山者の人数調査。

  • 〔 9/107 〕 「倉岳山(990.1M)登山道入口」石標

  • 〔 10/107 〕 左の道に方角表示板が設置されている

  • 〔 11/107 〕 枯れ沢を通過して左へ

  • 〔 12/107 〕 方角表示板を通過

  • 〔 13/107 〕 前方、階段をのぼる。階段の右に赤い矢印「 ↑ 」が書かれている。

  • 〔 14/107 〕 「恩賜林」案内板を通過

  • 〔 15/107 〕 石に赤いペンキが塗られている。登山道の明示。

  • 〔 16/107 〕 「倉岳山」へ

  • 〔 17/107 〕 赤いペンキを通過

  • 〔 18/107 〕 こまめに方角表示板が設置されていて助かる

  • 〔 19/107 〕 渓流沿いの登山道を進む

  • 〔 20/107 〕 ロープ設置は植生保護と思われる

  • 〔 21/107 〕 赤い矢印を通過

  • 〔 22/107 〕 岩場の登山道

  • 〔 23/107 〕 階段みちもある

  • 〔 24/107 〕 登山道の様子

  • 〔 25/107 〕 立野峠に到着

  • 〔 26/107 〕 左は「細野山 寺下峠」

  • 〔 27/107 〕 立野峠の様子。右下からのぼってきた。左は「浜沢(はまざわ)」方面。

  • 〔 28/107 〕 「立野峠」標柱。「立野峠」参照。

  • 〔 29/107 〕 同上。方角確認。

  • 〔 30/107 〕 「倉岳山 約35分」へ

  • 〔 31/107 〕 以上、立野峠にて。後ろを振り返って。

  • 〔 32/107 〕 前方のピークを越える。何回か小ピークを越える。

  • 〔 33/107 〕 見晴らしのいい場所を通過

  • 〔 34/107 〕 ズームイン

  • 〔 35/107 〕 倉岳山に到着

  • 〔 36/107 〕 方角表示板の奥に富士山を望む

  • 〔 37/107 〕 ズームイン

  • 〔 38/107 〕 「倉岳山 990m 山梨百名山」標柱。「倉岳山」参照。

  • 〔 39/107 〕 「二等三角点」

  • 〔 40/107 〕 「秀麗富嶽十二景 九番山頂 倉岳山 990m」標柱。「倉岳山」参照。

  • 〔 41/107 〕 「大月市 秀麗富嶽十二景 9番山頂 倉岳山(990.1m)」案内板

  • 〔 42/107 〕 富士山と反対方向の眺望

  • 〔 43/107 〕 山頂広場の様子。以上、倉岳山にて。

  • 〔 44/107 〕 前方に方角表示板がある

  • 〔 45/107 〕 近づいて。左へ。直進しないよう枯木を倒してある。

  • 〔 46/107 〕 新緑の登山道が心地よい

  • 〔 47/107 〕 右下へくだる

  • 〔 48/107 〕 穴路峠(あなじとうげ)に到着

  • 〔 49/107 〕 「穴路峠 840m」表示板。「穴路峠」参照。

  • 〔 50/107 〕 方角表示板を確認。石にも「穴路峠」と書かれている。後ろを振り返って。

  • 〔 51/107 〕 「峠道文化の森」案内板。「解説」参照。以上、穴路峠にて。

  • 〔 52/107 〕 10分程で天神山に到着

  • 〔 53/107 〕 山頂標柱。「天神山」参照。

  • 〔 54/107 〕 「天神山頂 870m」表示板

  • 〔 55/107 〕 山頂からの眺望。以上、天神山山頂にて。

  • 〔 56/107 〕 「高畑山」へ

  • 〔 57/107 〕 分岐点に到着。「地理院・加工」参照。直進、高畑山へ。

  • 〔 58/107 〕 「雛鶴峠(悪路)」表示板。後ろを振り返って。以上、分岐点にて。

  • 〔 59/107 〕 高畑山に到着

  • 〔 60/107 〕 方角表示板確認

  • 〔 61/107 〕 案内板の奥に富士山を望む

  • 〔 62/107 〕 ズームイン

  • 〔 63/107 〕 「大月市 秀麗富嶽十二景 9番山頂 高畑山(981.9m)」案内板。「高畑山」参照。

  • 〔 64/107 〕 「秀麗富嶽十二景 九番山頂 高畑山 982m」表示板。昼食休憩。

  • 〔 65/107 〕 さっきの分岐点へもどる

  • 〔 66/107 〕 「雛鶴峠(悪路)」へくだる

  • 〔 67/107 〕 登山道の様子。踏み跡のうすい場所はあるが、何とか登山道は確認できると思われる。

  • 〔 68/107 〕 「雛鶴峠」へ

  • 〔 69/107 〕 現在地「楢峠」を通過。この表示板で登山道を確認。

  • 〔 70/107 〕 大ダビ山へのぼる。かなりの急斜面。通行注意。

  • 〔 71/107 〕 尾根道へでる。右へ。

  • 〔 72/107 〕 大ダビ山に到着

  • 〔 73/107 〕 「大ダビ山 901m 平成3.4.14」表示板。「大ダビ山」参照。

  • 〔 74/107 〕 「大ダビ山 901m」表示板もある。以上、大ダビ山にて。

  • 〔 75/107 〕 登山道のわかりにくい場所。ピンクのテープ、境界見出標、踏み跡の様子から右側の尾根をくだる。

  • 〔 76/107 〕 「雛鶴峠」へ。方角表示板を確認できて安心した。

  • 〔 77/107 〕 「高岩」に到着

  • 〔 78/107 〕 「高岩」標柱

  • 〔 79/107 〕 「高岩 平成1.6.18」表示板

  • 〔 80/107 〕 小ピークに到着

  • 〔 81/107 〕 眼下の様子

  • 〔 82/107 〕 リニア実験線の施設と思われる。ズームイン。

  • 〔 83/107 〕 木々の間から富士山を望む。以上、ピーク地点にて。

  • 〔 84/107 〕 ロープ設置場所を通過

  • 〔 85/107 〕 鉄塔を通過

  • 〔 86/107 〕 方角表示板を確認。「雛鶴峠」へ。

  • 〔 87/107 〕 富士山の眺望

  • 〔 88/107 〕 ズームイン。以上、鉄塔にて。

  • 〔 89/107 〕 雛鶴峠に到着。右奥に方角表示板がある。

  • 〔 90/107 〕 おりてきた道を振り返って

  • 〔 91/107 〕 「ひなづる峠」標柱。右「無生野」へ。

  • 〔 92/107 〕 もう一つ鉄塔を通過

  • 〔 93/107 〕 「ヒナヅル峠へ ←」表示板で登山道を確認

  • 〔 94/107 〕 林道へ出る

  • 〔 95/107 〕 「← ハイキングコース」表示板がある

  • 〔 96/107 〕 後ろを振り返って

  • 〔 97/107 〕 バス道路へ出る

  • 〔 98/107 〕 雛鶴神社へお参りする

  • 〔 99/107 〕 「雛鶴姫之像」

  • 〔 100/107 〕 供養塔と思われる

  • 〔 101/107 〕 「雛鶴神社」案内板。「解説」参照。

  • 〔 102/107 〕 本殿

  • 〔 103/107 〕 「雛鶴神社」・「葛城神社」の神額。以上、雛鶴神社にて。

  • 〔 104/107 〕 ここからも「穴路峠・倉岳山」へ登れるようだ。後ろを振り返って。

  • 〔 105/107 〕 「無生野」バス停に到着

  • 〔 106/107 〕 富士急バスが到着。2:30分。「道路の反対側で待ちます」と運転手さんに連絡。

  • 〔 107/107 〕 バスが折り返してもどってくる。2:49発。上野原駅まで900円。

【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1峠道文化の森 〕 「峠道文化の森」は、往時、人々の暮らしに深く結びつき、地域の固有の文化を育んだ里山の峠道とその周辺で大切に守られてきた大樹や森に着目し、設定したものであります。この森と親しみながら、ゆったりとした時間の流れの中、人間と森林とが共に生きることや、山村と山村、また、都市と山村とを結ぶ現代的な意味での交通について考える端緒となることを期待しております。( 特徴 ) この付近は近年、高畑山や倉岳山へのハイカーの通行が多いが、以前は大月市と秋山村の集落と集落とを結ぶ文化や生活が穴路峠を中心に行き交ったところです。
位置:大月市奥尾 大月事業区 107 林班 ろ 3.4.7.B / 面積:6.91 ha / :大月市〜穴路峠(標高 870m)〜秋山村
大樹:アカマツ[天然木] スギ、ヒノキ[昭和41年植栽造林木]    《 平成8年4月 山梨県林務部 》

#2-1 #2-2雛鶴神社 〕 雛鶴神社は、秋山村無生野にあり、大塔宮護良親王(だいとうのみや もりよし(もりなが)しんのう)の侍妃雛鶴姫を祀る(平成元年10月 本殿、拝殿再建)。伝承によると建武2年(1334)7月護良親王は鎌倉に於いて、淵部義博のために悲運の最期を遂げられた。お傍らに仕えていた寵姫南の御方雛鶴姫は悲嘆にくれたが、やがて心をとり直し、従者と共に御首級(みしるし)を抱いて鎌倉を出立され、相州下柏尾(現在の横浜市戸塚区柏尾町)の四つの杭の井戸で首級を清め、成正寺で供養し、次いで串川村(現在の津久井郡津久井町青山)の光明寺に立ち寄り、更に川合という地に休み、甲州秋山に入り、桜井の裏山王沢から古福志の四つ堂に七日間逗留し、死亡した従者のために弥陀を建て、王の入屋敷に休息ののち、無生野の里に辿りついたのは年の暮れであった。そこで産気づいた姫は、二十九日王子を分娩されたが、母子共に死亡された。村民は悲運に同情し、厚くこれを弔い門松をとりはらい、樒(しきみ)の枝をたてて冥福を祈ったという。それから数年ののち、護良親王の王子葛城宮綴連王(かつらぎのみやつづれおう)が吉野 賀名生(あのう)の変後、諸国を遍歴して本村に落居し、村民の話を聞いて不思議の因縁を感じ、この地に住み一子五孫の繁栄を見て天寿を終えられた。村民は三人を神に祀り、今日まで祭りを続けるという。護良親王、雛鶴姫、綴連王、御三方の追福のために始められたという無生野の大念佛は、念佛踊りの原形を良く留めるものとして尊重され、山梨県の無形文化財に指定(後に、平成7年12月、国の重要民族文化財に指定される)され、正月、七月の各十六日に連綿として行われている。《 昭和57年10月 秋山村/平成30年7月 再編再掲/無生野地区 氏子 》