〔 浅間嶺(せんげんれい)〕 檜原村 2023.2.6  ■ Blossom[jQueryScript.net] ■ 山のページへもどる
[ 日本山名事典:
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【 解説 】    ※ 画像クリック拡大表示

#1-1 #1-2石像 〕 ※ 馬頭観音像と思われる

#2-1 #2-2時坂峠の読み方 〕 ※ 『 関東ふれあいの道 』案内図に「時坂(とっさか)峠」の読み方が記載されている。浅間嶺「休憩所」にて。右は切り取り画像(拡大)。

#3-1関東ふれあいの道《 歴史の道 》〕 このコースは、上川苔から浅間尾根へのぼり時坂峠をへて本宿(もとしゅく)に至る延長80Kmのものです。檜原村の中央を通り地形も比較的ゆるやかな浅間尾根道は、中甲州道とも呼ばれ古代から重要な交通路となっており、江戸時代頃は馬によって木炭等の生産物を運び出し、日用品等を運び入れる要路として、村人のほかに小河内や西原(さいはら)の人たちも利用していました。

#4-1浅間尾根道 〕 奥多摩の主稜線から風張峠でわかれ、東西にゆるやかな上下をくりかえすのが浅間尾根です。浅間という名称は富士山の見られる所につけられており、この尾根からも時々、富士山を遠望できます。この尾根につけられた道は、以前は南・北両秋川沿いに住む人々が本宿・五日市に通う大切な生活道路でした。また、甲州中道とよばれ江戸と甲州を結ぶ要路となっていたこともあります。昭和の初め頃までは檜原の主産物である木炭を積んだ牛馬が帰りには日用品を積んでこの道を通っていました。