【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 土地の記憶 〜 人と自然の暮らし 〜 〕 富岡は、丘陵と断崖から構成される地域でありながらも、海に近く温和な気候で海の幸・山の幸の豊かな土地であった。花き園芸や果樹栽培が盛んで、古くは江戸時代の享和(きょうわ)の頃(1801−1804)には数万株の梅を植え、梅の実で収益をあげていた。また開花の時期には梅見客で賑わい、文人墨客(ぶんじんぼっかく)も数多く訪れた。大正時代には富岡の丘陵地には草花を栽培する温室が建てられ、西洋花きにおいては、富岡は全国的に有名な土地となった。また、大正時代から始まった海苔養殖によって、海苔干し場としても利用された。現在の富岡は、当時の産業の痕跡こそ薄れつつあるものの、暖かな日差しの注ぐ丘陵と海に囲まれた穏やかな風景の中に、かつて人々が自然と共に築いた暮らしの記憶が静かに息づいている。
〔 富岡の海岸線 〕 本市民の森が位置するかつての富岡海岸は、海崖(かいがい:波や潮流によって侵食されてできた崖)の多い特徴的な地形で、マツ、クスノキ、シイ、ケヤキなどの大木が生い茂る景勝地であった。明治時代の富岡海岸周辺は、政財界などで活躍した人々が別荘を構えるほど、東京湾を望む風光明媚な場所であった。三条実美(さんじょうさねとみ)、井上馨(いのうえかおる)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、松方正義(まつかたまさよし)、大鳥圭介(おおとりけいすけ)、田中不二麿(たなかふじまろ)などの政界の要人たちが次々に別荘を構え、「夏は富岡で閣議が開ける」とまでいわれるようになっていた。戦後の高度経済成長期以降、急激な人口増加に伴い、住宅市街地開発が進展し、金沢区では海の埋め立てや丘陵部の造成などが行われたことにより、海岸線は富岡から遠く離れていった。本市民の森はかつての海岸線沿いの様子を残した小柴自然公園、富岡八幡公園、富岡総合公園等をつなぐ緑のネットワークの一部となり、富岡海岸の面影を今に伝えている。
〔 ヒレンジャク 〕 レンジャク科レンジャク属
スズメより少し大きく、ツンと頭の後ろへ伸びた冠羽(かんう)と尾羽(おばね)の先の緋色が特徴的な野鳥。日本へは冬にやってくるが、年により数に大きな差がある。木の上で群れていることが多く、「ヒリヒリヒリ」や「チィ−、チィ−」と鳴く。
《 ハッピーイエローはいるかな? 》 ヒレンジャクの群れをよく見てみると、尾羽の先が黄色いキレンジャクが混じっていることがある。北海道や東北ではキレンジャクの方が多い。
《 ヤドリギを探してみよう 》 ヤドリギとは樹木に根付いてこんもりと葉を茂らす半寄生植物で、この実が大好きなヒレンジャクが集まる。粘り気のある実を食べると、粘りを引いて垂れさがったフンが枝に付着し、一緒に排泄されたタネからヤドリギが芽生える。野鳥を驚かさないように、離れた場所から静かに観察しましょう。
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