【 解説 】 ※ 画像クリック拡大表示
〔 早渕かなりあ公園 〜 待橋(まつはし)〕 以前の橋は松で出来ていたために「松橋(まつはし)」と呼ばれていましたが、早淵川の河川改修工事(昭和44年から昭和58年)により昭和50年に現在のコンクリート製の橋に架け替えられました。そこで、松では相応しくなく、昔吉田に「恋人が恋人の来るのをこの橋の上で待つ」という唄があったことから、松と同音である“待橋(まつはし)”と名付けたらいいとのことで名付けられたと言われています。
〔 せきれいのみち 〕 茅ヶ崎公園、せせらぎ公園、早渕公園を結ぶ緑道がせきれいのみちです。豊かな緑陰風景と街なみ景観が望める変化に富んだみちです。
〔 主屋(旧内野家住宅)〕 この建物は、もともと都筑区荏田町にあったものです。港北ニュータウンの開発の際に内野家より寄贈を受け、昭和55年に当公園内に当初の形式に近い形で移築復元されたものです。建設年代は江戸時代中期〜後期と推定されます。復元された間取りは「広間型三間取り」と言い、当時の農家の特徴が伺えます。
〔 長屋門(旧小杉家長屋門)〕 この門は、東京都目黒区にあったものです。安政6年(1859年)に長屋門として建設されました。港北ニュータウンに縁の深い当主により昭和54年に寄贈を受け長屋門の長屋である脇部屋を除いた門部分だけが移築復元されました。
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