〔 小野神社から小野路界隈 〕 町田市 2018.4.9 ( まちだフットパス2 ) ● 公園へもどる |
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【 解説 】 〔 図師(ずし)小野路(おのじ)歴史環境保全地区 〕 この地域は「東京における自然の保護と回復に関する条例」(東京都)により指定された〔図師小野路歴史環境保全地域〕です。ここでは、貴重な野生動植物が生息する豊かな里山の自然環境を保全するため、地域住民からなる管理組合によって維持管理を行っています。また、地域内には農家をはじめとする個人の民有地があり、営農や管理行為によっても自然環境が保全されていますので、立ち入りには、十分ご注意ください。失われつつある里山の自然環境を守るため、皆様のご理解とご協力をお願い致します。 ●東京都多摩環境事務所自然環境課 TEL 042-525-4051 ●町田歴環管理組合(管理受託者・町田市小野路町地内) 〔 ヘイリンジスミレ(平林寺菫)・スミレ科 〕 スミレの名前を検索しているうちに「ヘイリンジスミレ(平林寺菫)」に行き当たり、このスミレではないかと判断した。「オオミヤスミレ(大宮菫)」・「ノジスミレ(野路菫)」もとてもよく似ていて、こちらのスミレではないという確証はない。「『ヘイリンジスミレ』と思われるが『オオミヤスミレ』・『ノジスミレ』の可能性あり」という結論にとどめておきたい。「スミレ」の同定(どうてい/花の名前を特定すること)が非常に困難なことを痛感した。名前を検索しているうちに、後ろに突き出た部分が「距(きょ)」という名称であること(左の画像参照)、茎と「側弁(そくべん)」に毛が生えていて「有毛」であること(右の画像参照)、葉の形が「披針形(ひしんけい)」ということなどを知った。 ◆◆ 用語解説 ◆◆ 「ヘイリンジスミレ(平林寺菫)」:スミレと ヒメスミレの自然交雑種で、外形は両者の中間形を示すが、有毛のものから無毛のものまである。 名前は埼玉県新座市平林寺で見つかったことによる。 「距(きょ)」:花の基部近くから後ろに突出し、唇弁が密をためるための袋になっていて細長い筒状に見える部分。 「側弁(そくべん)」:花びら5枚のうち、横2枚/「上弁(じょうべん)」:上2枚/「唇弁(しんべん)」:下1枚。 「披針形(ひしんけい)」:植物の葉の形について、先のほうがとがり,基部のほうがやや広く、平たくて細長い、笹の葉のような形。 〔 小野路の歴史 〕 「小野路」の地名の由来には諸説あります。『大日本地名辞典』によると、平安時代の牧場地帯「小野牧」(現在の八王子市から日野市・府中市・稲城市・多摩市・町田市北部を含む地域)への入口、『武蔵名勝図会』によれば、武蔵七党の一つの横山党の祖である小野氏との関係によるものと考えられ、『鶴川村誌』では、「小野郷」(現在の府中市域内)への道筋ともいわれています。小野路は、長い歴史を通じて交通の要所で、江戸時代に東海道と甲州街道を結ぶ脇往還として、また江戸中期以降は 埼玉方面から大山詣でに行き来する人々で賑わう宿場となっていました。江戸時代には近隣の三十五ヶ村をまとめる組合村の寄場として見張番屋が置かれ、明治時代には登記所や郵便局などの公的施設ができ、小野路は地域行政の中心的な役割も果たしました。この案内板は、江戸時代に法令を板面に記して村民に周知させるために高札場(現在地)に設置された「高札」をイメージして、作製・設置したものです。町田市 |